人社サロン|三太郎の小径

TOHOKU UNIVERSITY
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瀬川教授(右)と岡教授(聞き手)

[人社サロン インタビュー]

中国南部をフィールドとした
文化人類学
東北アジア研究センター 教授
瀬川 昌久SEGAWA, Masahisa
聞き手:東北アジア研究センター 教授
岡 洋樹OKA, Hiroki
文化人類学とは
どのような学問なのか

:本⽇は先⽣のライフワークを語っていただくという形になろうかと思いますが、まずは専⾨分野である⽂化⼈類学についてはどのようなお考えで研究されてきたのでしょうか。また⽂学、歴史学、社会学、経済学などと⽐べてどんな特徴があるのでしょうか。

瀬川:私は⼤学時代からずっと⽂化⼈類学の研究をしています。最初に勤めたのが⼤阪にある国⽴⺠族学博物館ですが、ここは⽇本国内では⽂化⼈類学の中⼼的な研究機関ということになっています。そこに3年勤めた後、東北⼤学に教養部がまだあった時代に教養部に赴任しました。その後、⽂学部そして東北アジア研究センターへと移動しましたが、34年にわたって東北大学で研究を続け、2023年春退職の予定です。
その⽂化⼈類学の研究者はフィールドというものを持って特定地域を研究する⼈がほとんどですが、私の場合には中国の南部をフィールドにしています。

⽂化⼈類学はひと⾔で⾔うと、⼈類・⼈間を研究することを⽬的にした学問で、元々は「⼈類学」という、より⼤きな分野から派⽣したものです。この⼈類学というのは動物あるいは⽣物の⼀種としての⼈間を研究する⾃然科学的な研究です。最近であればヒトゲノム研究者が⾏っているような研究⼿法もありますが、当時は⾻や脳容積の研究が主でした。ところが、19世紀末から20世紀初頭にかけてそれだけでは⼈間の理解には不⾜ではないかということになりました。なぜならば⼈類、⼈間の特⾊が「⽂化を持っている」ということだからです。そこで⽂化の研究に特化するような研究が⾏われるようになり、それが⽂化⼈類学となったわけです。ただそのようにもともと理系的な要素がありましたが、現在ではほかの社会科学に⽐べると、かなり⽂学・歴史学・哲学寄りの分野になっています。

なぜかというと、⽂化というものを研究するためにはどうしてもその⽂化を外側から⾒ようとします。いわゆる異⽂化研究ということになります。たとえば⻄洋⼈からしてみれば、アフリカやメラネシアなど、⾮常に異なる⽂化の要素が多いところを最初のターゲットとしました。そのような異⽂化を研究するときに⽂献資料があまりない場合には、実際に現地に⾏って調べてくることが必要になります。それでフィールドワークが⽅法論として重要になったわけです。
ただそのフィールドワークで得られるものとは、⼈から話を聞いたその話そのものとか、あるいは何か儀式やお祭りなどを観察したその観察そのものとか、そういうものがデータになってきます。つまり、数量化ができない。アンケートを取って集計したり、統計処理をしたりすることがなかなかできないような質的データです。ですから必然的にその⽅法は「⾔葉による分析」になる傾向が強いのです。なので数多くのサンプルを調べて統計的⼿法を多⽤する社会学、経済学、あるいは⼼理学などに⽐べると、はるかに歴史学、哲学、⽂学に近い性格を持っているということができます。

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瀬川昌久 教授

瀬川昌久 [せがわ・まさひさ]
東北大学 東北アジア研究センター 中国研究分野 教授、大学院環境科学研究科 東北アジア地域社会論講座 教授
専攻/文化人類学・華南地域研究
●略歴/1981年東京大学教養学部教養学科卒業、1986年東京大学大学院社会学研究科博士課程退学、学術博士(東京大学1989年)、1986年国立民族学博物館 助手、1989年東北大学教養部 助教授、1993年東北大学文学部 助教授、1996年〜東北大学東北アジア研究センター 教授、2007年〜2009年東北大学東北アジア研究センター センター長
●受賞・学会/1995年渋沢賞受賞、日本文化人類学会会員


広大な中国研究の中に
切り込んでいった瀬川文化人類学

:次は研究テーマについてです。⽂化⼈類学というと、いまお話しがあったように異⽂化の地域や⽐較的単純な構造の社会を対象にすることが多いというイメージを持っているのですが、先⽣の場合は中国という⽂明社会をフィールドとしていらっしゃるわけで、中国を⽂化⼈類学のテーマとして選ばれたのはなぜでしょうか。

瀬川:よく聞かれる質問です。⽂化⼈類学が技術レベルや社会の仕組みが単純な歴史資料がない社会を主なターゲットにしていたというのは20世紀の前半には確かにそうだったんですね。そのようなイメージが⼀般化していた時代もあるんですが、私が学⽣時代の70年代頃になりますと⽂化⼈類学⾃体も変わってきました。いわゆる単純な社会、昔の⾔葉で⾔うと「未開社会」などと呼ばれたものはもうどんどん少なくなって、そういうものだけを研究対象としていても研究するものがなくなるのではないかということで、より複雑な社会を研究しようということになっていました。
私が最初に学⽣時代に興味を覚えたのは農⺠社会という⾔葉で呼ばれていた、国家の中に組み込まれた農⺠の社会とか、植⺠地における先住⺠族の社会とかで、そういうものをターゲットにしようと思ったんですね。
最初は中⽶あたりを考えたり、そのためにスペイン語を習ったりしていたこともあったんですが、そこから中国とか東アジアもいいなと思い始めました。どうせならば⻑い歴史のある⾮常に複雑な社会、世界でも最⼤規模と⾔ってもいい中国社会に挑戦してみたいなと思ったのが始まりです。

:私もモンゴルを中⼼とした東洋史学を研究していますのでわかりますが、⽇本には前近代から近代の東洋史学、中国哲学、中国⽂学など膨⼤な研究実績があるわけです。中国のことを研究しているのは世界で⽇本が⼀番とも⾔われています。いわばそうした最⼤マーケットのところに、⽂化⼈類学としての中国研究ということで⼊っていかれた時に、歴史などの先⾏研究は意識されましたか。その中で先⽣の⽂化⼈類学の特徴とはどのようなものなんでしょうか。

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聞き手:岡 洋樹 教授

岡 洋樹 [おか・ひろき]
東北大学 東北アジア研究センター モンゴル・中央アジア研究分野 教授、大学院 国際文化研究科 教授、専攻/東洋史・モンゴル史
●略歴/1991年早稲田大学大学院 文学研究科後期博士課程史学(東洋史)専攻、1990年早稲田大学文学部助手、1993年日本学術振興会特別研究員、1992年群馬大学教育学部・早稲田大学第二文学部非常勤講師、1996年東北大学 東北アジア研究センター 助教授、2006年東北大学 東北アジア研究センター 教授、2013年〜2017年 東北大学東北アジア研究センター センター長