岩手・宮城内陸地震(2008)の墓石転倒率


分布とその地質学的考察

 

石渡 明・小栗尚樹・原田佳和

「東北アジア研究」,第13号,1〜16ページ
(東北大学東北アジア研究センター 2009年3月18日発行)

[東北大学東北アジア研究センター] [石渡ページ]  
[東北大学理学部地球惑星物質科学科] [東北大学大学院理学研究科地学専攻] 


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岩手・宮城内陸地震(2008)の墓石転倒率分布とその地質学的考察

Iwate-Miyagi Nairiku Earthquake (2008), Northeast Japan: Regional Distribution of Tombstone Fall-Down Rate and Geological Interpretation

石渡 明 (Akira Ishiwatari)*       

小栗尚樹 (Naoki Oguri)**            

原田佳和 (Yoshikazu Harada)***

 

キーワード:震度、墓石転倒率、灯籠の転倒方向,地域地質学

Keywords: seismic intensity, tombstone fall-down rate, fall-down directions of stone lanterns, regional geology,

 

Abstract

Tombstone fall-down rate was measured at 90 cemeteries over the 80 x 50 km area damaged by the Iwate-Miyagi Nairiku (inland) Earthquake (M7.2) of June 14, 2008. The highest seismic intensity (6+ in the 0-7 Japanese scale) was reported from both Oshu and Kurihara cities, but the fall-down rate was higher in Oshu (max. 53%, 10-20 km from the epicenter) than in Kurihara (max. 26%, 20-40 km). The rate may attain 100% near the epicenter (<10 km) as judged from a published airborne photograph. The high fall-down rate (>50%) area (HFDRA) is estimated to be smaller than 35 x 20 km for this earthquake. The area is smaller than that of recent earthquakes such as Western Tottori Prefecture (2000, M7.3, 45 x 20 km) and Niigata Chuetsu (2004, M6.8, 40 x 30 km), nearly equal to that of Noto Peninsula (2007, M6.9, 35? x 20 km), but is distinctly broader than that of Southern Hyogo Prefecture (Kobe) (1995, M. 7.3, 45 x 6 km). The difference is apparently related to the regional geology; the HFDRA is narrow along the reactivated fault bounding the uplifted granite mountains and the soft basin-fill Quaternary sediments (Kobe), but is wider in the area monotonously underlain by granite (W. Tottori) and covered by thick Late Cenozoic volcanic and sedimentary rocks (others including Iwate-Miyagi). The area with relatively high fall-down rates extends to the south for more than 50 km from the epicenter, and this feature may also be related to the N-S trending arrangement of the geological units. Fall-down directions of the pillar-type stone lanterns in the eastern area are mainly toward the northeast, consistent with the observed ground movement in Kurihara.


*    東北大学東北アジア研究センター

**  東北大学大学院理学研究科

*** 東北大学理学部


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1はじめに(墓石転倒率調査の先例と意義)

 日本の墓石は全国的に大きさや形が比較的一定しており、人口密度が希薄な地域でもある程度の戸数の集落には墓地があるので、墓石の転倒率調査は古くから地震による強震動の分布を明らかにする有用な手段とされてきた[岸上ほか 1941: 628-646] [福富ほか 1953: 1-22] [大橋ほか 1978, 555-560] [加藤 1979: 421-431].最近は地震計が全国に多数設置され、震度分布は地震の直後にかなり詳しくわかるようになったが、市街地以外の山間部や海岸などには地震計があまり設置されておらず,しかも複雑な地震の揺れが墓石のような構造物にどう影響したかは実際に調査しないとわからないことから,墓石調査の必要性は現在も失われていない.そして調査の過程で、地滑りなどの地変や建物・道路の被害との関係、墓石・灯籠の転倒方向など地震動の向きに関する情報も得られる.最近の地震では、1993年釧路沖地震[田近ほか 1994: 1-105]1994北海道東方沖地震[岡崎ほか 1996: 30-41]1995兵庫県南部地震[翠川・藤本 1996: 111-118] [菊山ほか 1996: 42-44] [川崎ほか 1996; 39-50]2000鳥取県西部地震[林ほか 2001: 35-41]2004年中越地震[内藤ほか 2005: 64-71]2007年能登半島地震[石渡 2007: 2-17]  [加藤ほか 2008: 印刷中]などについて調査結果が公表されている.

 墓石の転倒率に最も関係するのは最大地動速度であり、速度が20 cm/s以下では転倒率は0%だが、5070 cm/s50%になり、200 cm/s以上になると100%になる[翠川・藤本 1996: 111-118].また、大橋ほか[1978: 555-560]による最大地動加速度(Amax gal)と墓石の転倒率(R)の関係はAmax=2.67R+200 (R75)となり、200 gal以下で転倒率0%400 gal75%になる.この関係は、福富ほか[1953: 1-22]によると200 gal30%, 300 gal50%400 gal80%である.昔は、震度5が加速度80 gal以上、震度6 250 gal以上、震度7400 gal以上に対応するとされていた.現在の震度と墓石転倒率との関係は、大まかには、震度5弱では墓石はほとんど倒れず、震度5強で一部の墓石が転倒し、震度6弱では転倒率50%以下、震度6強で50%以上になり、震度7100%に近くなる.

 

1栗原市一迫町清水普門寺の墓石転倒の様子.転倒した棹石と小さい灯籠には転倒防止施工がなされていた. 

Fig. 1. Fallen down tombstone at Fumonji Temple in Shimizu, Ichihazama Town, Kurihara City, Miyagi Prefecture. Anti-seismic works (buried bolts) were installed for the fallen-down tombstone and small stone lantern. 
 

最近の墓石や灯籠は、直径610 mmの鉄製のボルトを墓石と台座の間に埋め込み、更に墓石と台座をセメントや接着剤で固めるなどして、「転倒防止」を施してあるものが多い.しかし、転倒率が10%を超える墓地では、転倒防止を施した墓石や灯籠1も多く倒れている.転倒防止の施工は転倒率を10%程度下げる効果はあろうが、強震動の分布を調査する観点から言えば、転倒防止施工が普及しても墓石の転倒率調査が無意味になるということはない.


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2. 岩手・宮城内陸地震の概要

 気象庁[2008]によると、2008614日午前8:43に発生した岩手宮城内陸地震によって震度5強以上の揺れを観測した地点は次のようになっている.【震度6強】奥州市衣川区、栗原市一迫、【震度6弱】奥州市胆沢区、栗原市栗駒、築館、高清水、蛍沢、金成、志波姫、花山、大崎市古川三日町、古川北町、田尻、鳴子、【震度5強】北上市二子町一関市山目、金ヶ崎町西根、平泉町平泉、奥州市水沢区大鐘町、奥州市江刺区、奥州市前沢区、宮城加美町中新田、涌谷町新町、栗原市若柳、登米市南方町、宮城美里町北浦、木間塚、大崎市松山、大崎市岩出山、名取市増田、仙台宮城野区苦竹、仙台若林区遠見塚、利府町利府秋田県湯沢市川連町、東成瀬村椿川東成瀬村田子内.官邸対策室[2008]によると、この地震による624日時点での人的被害は死者12名、行方不明10名、負傷者357名であり、死者や行方不明者は余震域の直上で発生した大規模な地滑り、斜面崩壊、土石流などに巻き込まれた場合が多く、倒壊した家屋の下敷きになった例は少ない.

 

3. 調査の概要

この調査は、今回の地震による揺れの強さの詳しい分布を明らかにすることを目的として、624日から75日までの期間に5日間行った.北は岩手県北上市から南は宮城県大崎市古川まで、西は秋田県湯沢市秋ノ宮から東は栗原市若柳まで、南北約80 km、東西約40 kmの範囲の墓地90ヶ所において、墓石の転倒率(墓石の全数に対して何本転倒したか)を数えた.墓石は、上部の棹石(さおいし)の断面が正方形に近くて縦長のもののみを数え、横長のもの、平板状のもの、五輪塔その他の不規則な形状のものは数えなかった.典型的な棹石は底辺が3040 cm、高さが6090 cmである.棹石が完全に落下している場合のみを「転倒」とし、ずれたり回転したりしていても台の上に残っている場合は「不転倒」とした.なお、地震発生から調査までかなり日数が経過したために、墓石が復元されている場合も多かったが、墓石の傷、欠け、周囲の痕跡などで地震時に転倒したと判断されるものは「転倒」とし、この判断に迷う場合は「不転倒」とした.傷や欠けの見落としもあると思うので、今回の調査による転倒率は、地震直後に計数した場合に比べてやや低い可能性がある.また、岩手県奥州市から宮城県栗原市にかけての墓地で転倒していた15本の大きな円柱型の灯籠(2)について、その転倒方向(原位置から見た灯籠上端部(笠)の方位、転倒後に回転・移動した場合は着地痕の方位)を計測した.

 

2奥州市胆沢町丑転霊園の円柱灯籠転倒の様子.台座から見た笠またはその着地痕の方位が転倒方向.

Fig. 2. Fallen-down, large stone lantern of pillar type at the Ushikorobashi Cemetery, Izawa Town, Oshu City, Iwate Prefecture. The fall-down direction is defined by the azimuth of the fallen roof (or umbrella) or its landing trace viewed from the basement of the lantern.
 


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4. 調査結果

 

(1) 震央付近の墓石転倒率

調査地域の墓石転倒率分布を3に示す.墓石転倒率が最も高いのは、岩手県奥州市胆沢町萩森の公葬地と同市衣川村野崎の大原公葬地で、どちらも52-53%の墓石が転倒している.これら2地点は、調査した墓地の中で震央に最も近い約10 kmの距離にある.このことは、震央の近くで最も地震の揺れが強かったことを示している.震央から10 km以内の山間地は道路の崩落、立ち入り禁止措置などで調査できなかったが、震央から南南西へ10kmほどの宮城県栗原市栗駒沼倉耕英中(駒ノ湯温泉の近く)で615日午前10時にヘリから撮影した報道写真[河北新報編集局 2008: 20]によると、写っている5基の墓は棹石が全部転倒しており、土台の墓石まで変位または転倒している.墓地の全体が写っているわけではないが、断層の上盤側(西側)のこの地点では墓石転倒率が100%に近いことを示している.

 

(2) 周辺地域の墓石転倒率

転倒率が2050%の墓地は5ヶ所あり、そのうち4ヶ所は奥州市胆沢町大原付近から一関市厳美町地区を経て宮城県栗原市栗駒町鳥沢地区へ南北に並び、他に秋田県湯沢市皆瀬村羽場でも36%の墓石が転倒していた.転倒率が1020%の墓地は宮城県栗原市・大崎市にかけて、震央から南へ向かって40 km程度の範囲に拡がっており、震央から約50 km離れた大崎市古川市街の墓地でも1%以上の墓石が転倒している.秋田県雄勝郡東成瀬村にも転倒率10%を超える墓地がある.一方、震央の東側に当たる岩手県奥州市水沢から平泉を経て一関市に至る北上川沿いの平野部では、震央から20 km程度しか離れていないのに、転倒率が10%を超える墓地はなかった.また、震央の南西側にある鳴子温泉や川渡温泉の墓地では、灯籠や碑板など、棹石に比べて不安定なものも倒れておらず、棹石のずれもほとんど見られなかった.これらのことは、今回の地震の強い揺れが震源から南〜南東の方向と西の方向へ拡がったことを示している.


3岩手・宮城内陸地震による墓石転倒率の分布.短い矢印は円柱灯籠の転倒方向を示す(偏角補正済み).

Fig. 3. Distribution of the tombstone fall down rates in the damaged area of the 2008 Iwate-Miyagi Nairiku Earthquake. Short arrows indicate fall-down directions of pillar-type stone lanterns (declination corrected).


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図3


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(3) 墓石転倒率と震度の関係

気象庁[2008]によると、今回の地震で震度6強を観測したのは岩手県奥州市衣川と宮城県栗原市一迫の2地点だけであった. 奥州市衣川から胆沢にかけての地域では転倒率が50%を超える墓地が2ヶ所あり、奥州市から一関市にかけての岩手県内では他に転倒率20%以上の墓地が3箇所あったが、栗原市一迫付近の4つの墓地の墓石転倒率は018%であり、宮城県内で転倒率が20%を超える墓地は岩手県境に近い栗原市栗駒町鳥沢1ヶ所のみであった.同じ震度6強でも、岩手県側と宮城県側では墓石転倒率に大きな違いがあることがはっきりした.

 

(4) 円柱灯籠の転倒方向

奥州市〜栗原市にかけての地域で転倒していた円柱大灯籠15本の転倒方向は一定しないが、東側に倒れているものが23以上に達し(11)、特に北東方向に倒れているものが多い(7)3, 4).このことは、この地域(断層の東側)の地盤の卓越運動方向が南西方向であったことを示唆する.

 

 

4岩手・宮城内陸地震による水沢〜栗原地域の円柱灯籠の転倒方向の頻度分布(10度ごと、偏角補正済み).個々のデータは図3と表1を見よ.

Fig. 4. Fall-down directions of the pillar-type stone lanterns in the area to the east of epicenter of the Iwate-Miyagi Nairiku Earthquake (declination corrected). See Fig. 3 and Table 1 for the data.
 


5. 1995兵庫県南部地震による墓石転倒率分布([川崎ほか 1996; 39-50]に基づく).

Fig. 5. Distribution of the tombstone fall-down rates by the 1995 Southern Hyogo Prefecture (Kobe) Earthquake [Kawasaki 1996: 39-50].

6. 2000鳥取県西部地震による墓石転倒率分布([林ほか 2001: 35-41]に基づく).

Fig. 6. Distribution of the tombstone fall-down rates by the 2000 Western Tottori Prefecture Earthquake [Hayashi et al. 2001: 35-41].


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図5

 

図6


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5. 考察

(1) 高転倒率地域(>50%)の広さの比較

今回の地震は震源断層が山間地を通っていたため、断層直上の地域で墓石の転倒率を計測することができなかった.そのため、墓石転倒率50%以上の地域(これを高転倒率地域と呼ぶことにする)の面積を正確に算出することは困難である.しかし、震源断層を取り囲むように宮城・岩手・秋田3県にまたがる広範囲の調査を行ったので、外堀は埋まっており、余震の震源分布や地すべり・斜面崩壊などの地変の状況を参考にしながら、その範囲を推定することは可能である.その値は、可能な限り広く見積もって35 x 20 kmである.気象庁[2008]は今回の地震のマグニチュード(M)を7.2としている.

これを最近日本で発生した他の地震の場合と比較してみる.1995117日の兵庫県南部地震(M7.3)では、淡路島の北淡町から明石、神戸、西宮を経て尼崎・伊丹に至る45 x 6 kmの細長い地域で墓石転倒率が50%以上であった[川崎ほか 1996; 39-50]5).これは、後述する2000年以後の地震の場合と比べると高転倒率地域が著しく狭い.しかも、通常の地震では震央付近の墓石転倒率が最も高くなるのに、この地震では明石海峡の震央付近ではむしろ転倒率が低く、それから離れた淡路島北部や神戸から伊丹にかけての地域で転倒率が高かったことも顕著な特徴である.2000106日に発生した鳥取県西部地震はM7.3で今回の地震よりやや大きく、墓石倒壊率50%以上の範囲[林ほか 2001: 35-41]45 x 20 kmとやや広い(6).20041023日発生の新潟県中越地震はM6.8と今回の地震よりやや規模が小さいが、墓石倒壊率50%以上の地域の範囲[内藤ほか 2005: 64-71]40 x 30 kmと、最近の地震の中では最も強震地域が広い(7).2007325日発生の能登半島地震(M6.9)では、震源断層の大部分が海底にあったために全体の分布を推定するのが困難だが、余震の震源分布を参考にすると、倒壊率が50%を超える地域の範囲は恐らく今回の地震と同様に35(?) x 20 kmに達すると推定される8[石渡 2007: 2-17]

即ち、今回のM7.2の地震による墓石の転倒率が50%を越える地域の範囲は、2007325日の能登半島地震(M6.9)の場合と同程度であり、2000106日の鳥取県西部地震(M7.3)や20041023日の中越地震(M6.8)に比べるとやや狭い.しかし、高転倒率地域が非常に狭い帯状を呈する特殊な分布パターンを示す兵庫県南部地震(M7.3)の場合と比べると、日本の一般的な直下型地震の墓石転倒率分布に似ていると言える.


7. 2004年中越地震による墓石転倒率分布([内藤ほか 2005: 64-71]に基づく).

Fig. 7. Distribution of the tombstone fall-down rates by the 2004 Niigata Chuetsu Earthquake [Naito et al. 2005: 64-71].

8. 2007年能登半島地震による墓石転倒率分布([石渡 2007: 2-17]).

Fig. 8. Distribution of the tombstone fall-down rates by the 2007 Noto Peninsula Earthquake [Ishiwatari 2007: 2-17]


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図7

図8


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なお、[気象庁2008]の震度分布図は最も強い震度(6強)を観測した奥州市衣川区と栗原市一迫の2点を中心に、それらから離れるに従って震度が減少するように描かれているが、本調査結果が示すように、実際は震央付近の震度が最も強かったはずであり、特に今回のように山間地を震央とする地震の場合は、地震計のデータに基づく震度分布図だけでなく、地変の状況や墓石・家屋などの建造物の倒壊状況も考慮に入れた震度分布図も作成すべきだと思う.

 

(2) 高転倒率地域の広さと地質の関係

墓石の高転倒率地域の広さのこのような違いがなぜ生じたのか、日本地質図 [地質調査所 1992]を見ながら考えてみると、基盤地質の違いに気がつく.兵庫県南部地震の場合は、六甲山地や淡路島北部に花崗岩質の基盤岩が広く露出しているが、六甲−淡路断層帯を境として大阪湾側には花崗岩質基盤岩の上に厚さ2000 mに達する軟弱な第四紀層が堆積していて、断層帯の両側の基盤岩の落差は2500 m以上に達する [佐野・中川2008: 1-40].即ちこれは「共振鍋」のような構造になっていて、基盤岩が露出する地域では揺れが小さく、軟弱な地層が厚く堆積している部分では極端に揺れが増幅されたと考えられる.鳥取県西部地震の強震地域も花崗岩地帯であるが、この地震以前にはこの場所に活断層の存在が知られていなかったことからもわかるように、断層の両側で大きな地層の落差はなく、断層の両側は一様な花崗岩の地質である.中越地震、能登半島地震、そして今回の岩手・宮城内陸地震の強震地域はいずれも新生代後期の厚い火山岩・堆積岩に覆われており、中越地震以外の強震地域では花崗岩質基盤が露出する部分が若干存在するものの、多くの部分で花崗岩質基盤岩は1 km以上の深さにある.そして、新生代後期の地層が最も厚く堆積していて、強震地域内に花崗岩質基盤が全く露出していない中越地震の場合に、地震の規模に対する高転倒率地域の広さの割合が最も大きい.まだ事例が少なく、確定的なことは言えないが、内陸直下型地震に関しては、地震発生地域の地質(硬い基盤岩と厚い軟弱な地層が断層帯で接しているか否か、花崗岩質基盤岩を覆う新生代後期の地層が厚いか否か)が高転倒率地域の広さに大きく影響している可能性が高い.今回の岩手・宮城内陸地震の強震地域内では、花崗岩質基盤岩が点々と南北方向に並んで露出しており、中越や能登半島の場合よりは花崗岩質基盤が全体に浅く、そのため強震地域が比較的狭かった可能性がある.

また、過去の地震について墓石の転倒や家屋の倒壊などの分布に関する情報から震央の位置を推定する場合、一般的な内陸直下型地震の場合はほぼ正しい震央の位置を推定できるが、兵庫県南部地震のような場合は、いくら情報量が豊富な市街地であっても、震央の位置を誤って判断する可能性があることに注意が必要である.そして今回の岩手・宮城内陸地震のように震央が山間地にある場合も、震央が海底にある場合と同様に、推定の精度が悪くなることは明らかである.


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(3) 高転倒率地域の南方への延びと地質の関係

 墓石の転倒率分布(3)を見ると、110%の転倒率を示す墓地が断層から南へ45 km程度離れた大崎市古川まで伸びていることがわかる.気象庁の震度分布を見ると、この強震域はさらに南へ仙台付近まで延びており、震央から80km南方の仙台市青葉区でもこの地震による死者(本棚の本の落下による圧死)があったことと調和する.これは例えば奥州市の北上川沿いの平野部では、震央から東へ20 km程度の近距離であるにもかかわらず墓石の転倒がほとんど見られないことと対照的である.一方、断層の上盤側の秋田県内では、震央から2025 km程度離れた東成瀬村湯沢市皆瀬でかなり墓石が倒れているが、30 km以上離れるとほとんど墓石の転倒は見られない.このようにこの地震による強い揺れの伝播は方向によって異なり、特に南方へ強く遠くまで伝わり、東方や北方へはあまり伝わらなかった.このことは、断層面の破壊が主に北から南へ進行したことを示唆する.しかし、それだけでなく、この地域の地質構造が南北性の配列をもち、特に今回の南北にのびる強震域に沿って基盤岩(白亜紀花崗岩や古生代の変成岩など)の露出域点々と並んでいることも重要である.このような硬い岩盤が地下の浅い部分まで存在する地域では、地震波が減衰せずに遠くまで伝わるからである.一方、軟弱な沖積層や火山灰が厚く堆積している地域では、地震波は減衰しやすく、短周期の強い揺れは遠くまでは伝わらない.以上のように、高転倒率の地域が南へ延びている理由は、断層破壊の北から南への進行、南北性の地質構造配列、地下浅部における硬い岩盤の存在であると考えられる.

 

(4) 円柱灯籠の転倒方向について

 2007新潟県中越沖地震において、柏崎沖約17 kmの海底に海岸線とほぼ平行(北東方向)に伸びる震源断層に沿う柿崎から出雲崎に至る延長35 kmの地域では、円柱灯籠の転倒方向が断層と直交する北西と南東の方向に集中し、その地域より北東側(寺泊付近)や南西側(上越付近)では断層と平行な北東と南西に集中する傾向がある[加藤・道家 2008: 262].これはこの逆断層型の地震のメカニズムを考えると、初動とその反動による転倒として理解しやすい.しかし、同じく逆断層型の2007年能登半島地震による円柱灯籠の転倒方向はもっと複雑であり、震源断層に近い地域でも、必ずしも断層に直交する転倒方向が卓越するわけではなく、地域ごとに卓越する転倒方向が大きく異なるが、それらは地震計によって観測されたS波の立ち上がりから10秒以内の水平変位にほぼ対応させることができる[加藤ほか 2007: 321].なお、中越沖地震の場合、柏崎を中心とする加藤・道家の調査地域はすべて断層の上盤側に当たり、能登半島地震の場合も加藤ほかの調査地域(富来・七尾・羽咋)は断層の上盤側に当たる.

 今回の我々の調査で円柱型の大きい灯籠の転倒が確認されたのは断層の東側の地域であり(3)、すべて断層の下盤側に当たる.卓越する北東の転倒方向(4)は断層の伸びと約30度の角度で交わり、平行とも直角とも言い難い.[気象庁 2008]の災害時地震速報による地震波形(変位)を見ると、奥州市水沢、大崎市古川、大崎市鳴子では揺れ始めの大きな動きはNW-SE方向が卓越しているが、栗原市栗駒と涌谷町(松島の北隣)ではNE-SW方向が卓越している.我々が円柱灯籠の転倒を計測したのは岩手県奥州市胆沢から宮城県栗原市築館にかけての地域であり、この地域では全体として栗原市栗駒の地震計が観測した変位と同様に、揺れ始めの大きな地盤の運動はNE-SW方向が卓越していたことを示している.


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6. 結論

(1) 今回の岩手・宮城内陸地震による強震地域を取り囲む南北80 km, 東西50 kmの地域の90ヶ所で墓石転倒率調査を行った結果、岩手県奥州市の山沿いで最も転倒率が高く(52-53%)、比較的転倒率の高い地域が南方へ一関市、栗原市を経て大崎市古川付近まで延びていることがわかった.震央から10 km以内の山間地は調査できなかったが、報道写真によると栗原市栗駒沼倉では墓石が100%転倒しており、震央付近では転倒率100%(震度7相当)に近かったと考えられる.

(2) 岩手・宮城内陸地震(M7.2)による墓石の高転倒率地域(>50%)の広さは、広く見積もって35 x 20 km程度であり、今回よりもややマグニチュードの小さい中越地震(M6.8)の場合(40 x 30 km)に比べて狭い.しかし、よりマグニチュードの大きかった兵庫県南部地震(M7.3)の場合(45 x 6 km)に比べると広い.このような高転倒率地域の広さの違いはその地域の地質を反映していると考えられる.即ち、花崗岩質基盤岩と軟弱な第四紀層が落差2.5 km以上の断層帯を境に接している兵庫県南部のような地域では高転倒率地域が狭くなり、新生代後期の地層が厚く堆積していて花崗岩質基盤が地表に全く露出していない中越地域のような場合は高転倒率地域が広くなる.今回の岩手・宮城内陸地震の場合は新生代後期の地層が比較的薄く、花崗岩質基盤岩が点々と露出する地域なので、地震の規模に比べて強震地域が狭かったのだろう.

(3) 高転倒率地域が南方に延びていることは、断層の破壊が北から南に進行したことを示唆するが、この地域の南北性の地質構造、特に花崗岩質基盤が浅くなっている部分が南北に配列していることも関連していると考えられる.

(4) 震央の東側(断層の下盤側)の地域における円柱灯籠の転倒方向は東側、特に北東への転倒が卓越する.これは宮城県栗原市栗駒で観測された変位と調和するが、大崎市古川、鳴子、奥州市水沢で観測された変位とはほぼ直交する.断層の片側の地域でも部分によって円柱灯籠の転倒方向が異なることは2007年中越沖地震及び2007年能登半島地震でも報告されており、地形や地質の影響が指摘されているが、円柱灯籠の転倒方向を支配する詳しいメカニズムを解明するには更に事例研究を積み重ねる必要があろう.

 

謝辞 今回の野外調査には、第一著者に交付された科学研究費補助金基盤研究(C)No. 20540465を使用した.記して感謝する.拙稿に改善意見をいただいた匿名の査読者に感謝する.


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引用文献 (第一著者のABC順)

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日本地質図第3版.1:1,000,000.

福冨孝治・田畑忠司・藤木忠美・金安公造 1953

墓石の転倒、移動等から推定した昭和27年十勝沖地震における北海道各地の最大加速度と、特異な地割れの観察.北大地球物理学研究報告、3, 1-22.

林康裕・北原昭男・平山貴之・鈴木祥之 2001

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河北新報編集局 2008

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  平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震について.平成20624(19:00)現在.http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/iwate_miyagi/0806241900.pdf

加藤清治・道家涼介 2008

  2007新潟県中越沖地震時の円柱灯籠の転倒.日本地質学会第115年学術大会講演要旨、262.

加藤清治・香川真・松井隆志・米林博・佐伯孝・道家涼介・柏木健司・富山応用地質研究会・NPO法人富山県地すべり防止工事士会 2007

  墓石・灯籠の転倒方向から推定される2007年能登半島地震の地震動−富来・七尾以南の事例−.日本地質学会第114年学術大会講演要旨、321.

加藤清治・柏木健司・道家涼介・香川 真・小林裕幸・野村彩香・藤川浩一・田縁陽一・小宮路清孝・石若寛子・松井隆志・須田明弘・厨井 満・佐伯 孝・米林 博・野坂泰弘・林昭司・増山孝幸・吉澤杉洋・米丘 誠・松元啓輔 2008

2007年能登半島地震による能登半島南部地域の墓石・灯籠の変位について.福井県立恐竜博物館紀要,no. 745-66

加藤碵一 1979

197864日の島根県中部地震による墓石の被害について.地調月報, 30, 421-431.

川崎輝雄・野村亮太郎・大矢真也 1996

墓石の転倒からみた兵庫県南部地震の被害分布とその地形環境, 地理学評論 Ser. A, 69, 39-50,

菊山浩喜・横山俊治・中垣幸恵・柏木健司 1996

墓石・灯籠の転倒調査から推定される1995兵庫県南部地震の地震動. 土と基礎, 44(2)(457), 42-44.

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昭和16715日長野地震の統計的調査.震研彙報, 19, 628-646.

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墓石の転倒調査から推定した兵庫県南部地震の際の神戸市およびその周辺での震度分布. 日本建築学会構造系論文集, 490, 111-118.


P. 14

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中越地震の異常震動帯−墓石被害調査−. 新潟大学中越地震調査団「新潟県連続災害の検証と復興への視点−2004.7.13水害と中越地震の総合的検証−」, p. 64-71.

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墓石の転倒状況からみた19781月伊豆大島近海の地震による地震動強度の推定.土木研究所資料, 20, 555-560.

岡崎紀俊・石丸聡・小澤聡・荻野激・田近淳・広田知保 1996

墓石の変動から推定される地盤震動の特徴.「1994北海道東方沖地震による地盤災害」.地下資源調査所研究報告書, 25, 30-41.

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  大阪盆地の地下構造から上町断層を考える.断層研究資料センター20周年記念講演会「大阪直下の上町断層をさぐる」.断層研究資料センター,1-40.

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1993年釧路沖地震による地盤現象と災害.地下資源調査所調査研究報告書, 23, 105 p.


 

1. 岩手・宮城内陸地震墓石転倒率調査データ一覧.A 秋田県I 岩手県M 宮城県.円柱灯籠の転倒方向はコンパスによる実測地(この地域の磁北は西偏約8度)

Table 1. Data list of the tombstone fall-down rate survey after the Iwate-Miyagi Nairiku Earthquake. A: Akita Prefecture, I: Iwate Pref., M: Miyagi Pref. Declination (about 8 degrees to the west) is not corrected for the fall-down directions of the pillar-type stone lanterns measured by the compass.

 


 

P. 15

 

表1

 

調査日 場所 1/5万 墓石数 転倒数 転倒率% 円柱灯籠転倒方向 備考
1 2008/6/24 M栗原市築館町双林寺 若柳 88 5 6 N50E, N70E 一部のみ計数.東へ変位した棹石が多い.三十三観音の7体転倒
2 2008/6/24 M栗原市築館北方2km山畑の共同墓地 若柳 167 4 2   南東へ変位した棹石が多い
3 2008/6/24 M栗原市一迫町姫松館森林公園の墓地 岩ヶ崎 258 3 1    
4 2008/6/24 M栗原市一迫町清水,普門寺 岩ヶ崎 116 21 18 N30E  
5 2008/6/24 M栗原市一迫町高橋、広最寺 岩ヶ崎 151 6 4    
6 2008/6/24 M栗原市一迫町中町、洞林寺 岩ヶ崎 25 0 0   墓碑板転倒
7 2008/6/24 M栗原市花山村宿,城国寺 岩ヶ崎 132 6 5    
8 2008/6/24 M栗原市花山村御堂,萩香堂墓地 岩ヶ崎 149 19 13    
9 2008/6/24 M大崎市岩出山町岩下,如来寺 岩ヶ崎 151 2 1   墓碑板数個転倒・破損
10 2008/6/24 M大崎市岩出山町宿,樹林寺 岩ヶ崎 134 19 14   灯籠の転倒方向不定
11 2008/6/27 I 一関市山目町山目駅前,龍澤寺 一関 110 0 0   棹石の変位はある.背の高い石碑が数本倒れた.
12 2008/6/27 I 一関市赤荻,要津院 一関 138 13 9    
13 2008/6/27 I 一関市厳美町古館,長慶寺 一関 204 0 0    
14 2008/6/27 I 平泉町,志羅山龍玉寺 一関 315 1 0 N70E, S55E 棹石の変位はよくある.円柱灯籠倒れる.
15 2008/6/27 I 平泉町,かつら石西方の墓地 一関 63 0 0    
16 2008/6/27 I 厳美町鴻ノ巣,瀧門寺 一関 149 0 0    
17 2008/6/27 I 一関市館下,長泉寺 一関 125 3 2    
18 2008/6/27 M 栗原市栗駒町日照,長徳寺 一関 68 4 6    
19 2008/6/27 M 栗原市栗駒町鳥沢,養昌寺 一関 117 31 26   尾根沿いに地割れが生じている.
20 2008/6/27 M 栗原市栗駒町黒谷,昌林寺 一関 72 5 7    
21 2008/6/27 M 栗駒市栗駒町岩ヶ崎,黄金寺 岩ヶ崎 92 11 12   倒れた棹石11個のうち10個は西へ倒れた
22 2008/6/27 M 栗原市栗駒町岩ヶ崎,洞松院 岩ヶ崎 230 7 3    
23 2008/6/27 M 栗原市栗駒町岩ヶ崎,円鏡寺 栗駒山 256 0 0    
24 2008/6/27 M 栗原市栗駒町松倉,引矢,長照寺 栗駒山 145 3 2    
25 2008/6/27 M 栗原市栗駒町万代,円年寺 栗駒山 177 4 2   棹石は南西へ倒れた
26 2008/6/27 M 栗原市栗駒町文字,角ヶ崎 栗駒山 129 4 3    
27 2008/6/27 M 栗原市栗駒町山口,洞泉院 栗駒山 107 17 16    
28 2008/6/27 M 栗原市鶯沢町早坂,金剛寺 岩ヶ崎 152 16 11    
29 2008/6/27 M 栗原市栗駒町おまつ駅東方 岩ヶ崎 168 0 0    
30 2008/6/28 I 奥州市前沢五十人町前沢駅前,西岸寺 水沢 173 3 2   反時計回りに回転した棹石が多い
31 2008/6/28 I 奥州市前沢下小路前沢駅前,霊桃寺 水沢 305 0 0   灯籠や墓碑板は東へ倒れる.東に面する斜面.
32 2008/6/28 I 奥州市真城(国道4号沿い),真城寺 水沢 352 0 0   反時計回りに回転した棹石がある
33 2008/6/28 I 奥州市水沢町水沢駅前,増長寺 水沢 459 0 0    
34 2008/6/28 I 奥州市水沢町国道397号高速下,珠光寺 水沢 249 0 0 N70E 円柱灯籠倒れる
35 2008/6/28 I 奥州市胆沢町一本松,鳳凰寺 水沢 144 0 0   棹石の変位あり.墓碑板が倒れた.
36 2008/6/28 I 奥州市胆沢町赤剥公葬墓地 水沢 143 2 1 S50E, S10W 円柱灯籠倒れる
37 2008/6/28 I 奥州市胆沢町丑転霊園 水沢 368 6 2 N70W,S85W,S80E 円柱灯籠倒れる
38 2008/6/28 I 奥州市胆沢町駒籠,駒込霊園 水沢 178 0 0 N10E, N85E 円柱灯籠倒れる
39 2008/6/28 I 奥州市胆沢町中萩森,萩森霊園 焼石岳 102 53 52    
40 2008/6/28 I 奥州市衣川村外ノ沢南西の共同墓地 焼石岳 58 17 29    
41 2008/6/28 I 奥州市衣川村石生,石生霊園 水沢 75 11 15    
42 2008/6/28 I 奥州市衣川村長板沢,共同墓地 水沢 31 4 13    
43 2008/6/28 I 奥州市衣川村中河内,共同墓地 水沢 53 0 0    
44 2008/6/28 I 奥州市衣川村野崎,大原公葬墓地 栗駒山 73 39 53    
45 2008/6/28 I 一関市厳美町新田,共同墓地 栗駒山 72 21 29    

 


P. 16

表1(続き)

46 2008/6/28 I 一関市厳美町落合,共同墓地 栗駒山 7 0 0    
47 2008/6/28 I 一関市厳美町長倉,共同墓地 栗駒山 22 5 23   灯籠も倒れる
48 2008/6/29 M 大崎市岩出山町堂ノ口,東陽寺 古川 150 1 1   倒れた棹石は笠つき.墓碑板,灯籠も転倒.
49 2008/6/29 M 大崎市岩出山町岩出山,松窓寺 古川 368 1 0   厚板状棹石が南西へ倒れた.墓碑板,灯籠も多数転倒
50 2008/6/29 M 大崎市鳴子町末沢,洞川院 鳴子 438 0 0   灯籠も墓碑板も転倒なし.棹石の変位もなし.
51 2008/6/29 M 大崎市鳴子町川渡,祥雲寺 鳴子 122 0 0   灯籠も墓碑板も転倒なし.棹石の変位もなし.
52 2008/6/29 M 加美郡加美町岡町,瑞雲寺・長興寺 古川 1000 0 0   灯籠も墓碑板も転倒なし.棹石の変位もなし.
53 2008/6/29 M 大崎市古川市街,西館,瑞川寺 古川 615 7 1   五輪塔,灯籠,墓碑板など多数転倒,損壊
54 2008/7/4 M 大崎市鳴子町中野田,百目木共同墓地 鳴子 65 0 0   灯籠も墓碑板も転倒なし.
55 2008/7/4 M 大崎市鳴子町若神子原,若神子原霊園 秋ノ宮 45 0 0   灯籠2本転倒・損壊,碑板落下,棹石反時計回りに10度回転
56 2008/7/4 A湯沢市雄勝町秋ノ宮温泉郷,祥雲寺 秋ノ宮 44 0 0   棹石が数個変位.灯籠・墓碑板は倒れず.
57 2008/7/4 A湯沢市皆瀬村小安中学校跡地の墓地 稲庭 21 0 0   棹石3個大きくずれて回転したが倒れず.
58 2008/7/4 A湯沢市皆瀬村羽場,共同墓地 稲庭 44 16 36    
59 2008/7/4 A湯沢市皆瀬村中ノ台,丘の上の共同墓地 稲庭 32 1 3   棹石多数大きくずれて回転したが倒れず.
60 2008/7/4 A湯沢市皆瀬村下生内,共同墓地 稲庭 15 1 7   棹石多数大きくずれて回転
61 2008/7/4 A湯沢市皆瀬村上生内,共同墓地 稲庭 15 0 0   棹石のずれもほとんどない.
62 2008/7/4 A雄勝郡東成瀬村大柳,国道342山側墓地 稲庭 32 4 13   棹石のずれ,墓碑板倒壊あり.
63 2008/7/4 A雄勝郡東成瀬村小五里台,共同墓地 稲庭 9 0 0   棹石,墓碑板全く変状なし.
64 2008/7/4 A雄勝郡東成瀬村椿台,共同墓地 稲庭 44 0 0   棹石のずれはあるが,灯籠・墓碑板の転倒なし.
65 2008/7/4 I 北上市金ヶ崎町新田,法雲寺 北上 138 1 1   灯籠の転倒あり.
66 2008/7/4 I 北上市金ヶ崎町西根,共同墓地 北上 86 0 0   墓石のずれ少し,灯籠の転倒なし.
67 2008/7/4 I 北上市岩崎新田,上夏油,共同墓地 北上 21 0 0   地震の影響見られず
68 2008/7/4 I 北上市岩崎新田,真栄,共同墓地 北上 77 0 0   地震の影響見られず
69 2008/7/4 I 北上市佐野,慶昌寺 北上 121 0 0   地震の影響見られず
70 2008/7/4 I 北上市堅川目,共同墓地 北上 18 0 0   地震の影響見られず
71 2008/7/4 I 北上市蛭川,共同墓地 川尻 55 0 0   地震の影響見られず
72 2008/7/4 I 横手市十文字町仁井田,共同墓地 横手 146 0 0   地震の影響見られず
73 2008/7/4 I 横手市増田町新町,満福寺 横手 362 0 0   地震の影響見られず
74 2008/7/4 I 横手市増田町縫殿,共同墓地 横手 14 0 0   地震の影響見られず
75 2008/7/4 I 湯沢市稲川町大倉,常在寺 横手 7 0 0   地震の影響見られず
76 2008/7/4 I 雄勝郡東成瀬村湯野沢菅生田共同墓地 横手 16 0 0   地震の影響見られず
77 2008/7/4 I 雄勝郡東成瀬村滝ノ沢,共同墓地 横手 73 0 0   地震の影響見られず
78 2008/7/4 I 雄勝郡東成瀬村田子内,共同墓地 横手 19 0 0   地震の影響見られず
79 2008/7/4 I 雄勝郡東成瀬村肴沢,共同墓地 横手 28 0 0   地震の影響見られず
80 2008/7/5 M 栗原市築館町大仏,浦ノ澤霊園 若柳 84 6 7 S70W, N50E 棹石数個反時計回りに回転,灯籠が北西〜北東に多数転倒
81 2008/7/5 M 栗原市築館町黒瀬,黒瀬共葬墓地 若柳 68 7 10   棹石・灯籠は多く北へ倒れる.多く反時計回りに回転.
82 2008/7/5 M 栗原市栗駒町猿飛来毛鳥前,青雲寺 若柳 149 4 3    
83 2008/7/5 M 栗原市金成町三島,福王寺 若柳 148 1 1   転倒した棹石はやや大きめのもの.
84 2008/7/5 M 栗原市金成町山沢,常福寺 若柳 67 0 0   灯籠数本転倒.
85 2008/7/5 M 栗原市若柳町竹鎗,安養寺 若柳 171 0 0   灯籠2本が東向きに転倒.
86 2008/7/5 M 栗原市若柳町十文字,甘露寺 若柳 287 0 0   棹石のずれもほとんどない.灯籠1本が南向きに転倒.
87 2008/7/5 M 栗原市若柳町古屋敷南大通,龍昌寺 若柳 151 1 1   棹石が多数ずれ,回転している.灯篭の転倒は主に北へ.
88 2008/7/5 M 栗原市若柳町上畑岡大立,光明寺 若柳 212 0 0   灯籠4本転倒.1本は北へ,1本は北東へ.
89 2008/7/5 M 登米市迫町山居,慈眼寺 若柳 244 0 0   灯籠5〜6本転倒.大型円柱灯籠は転倒せず.
90 2008/7/5 M 登米市迫町新田,長照寺 若柳 115 0 0   大型円柱灯籠4本倒れる.
91 2008/6/15 M 栗原市栗駒沼倉耕英中,共同墓地 栗駒山 5 5 100   河北新報出版センター(2008) p. 20, ヘリから撮影した写真

 


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2009年03月25日作成,2009年03月25日更新