本の紹介 「火星の生命と大地46億年」

丸山茂徳・Victor R. BakerJames M. Dohm

講談社サイエンティフィク,19 x 13 cm, 256頁,20081210日発行,1,800円+税

ISBN978-4-06-154282-2

この紹介文は日本地質学会News, 12巻2号3ページに掲載されました.日本地質学会の許可を得て再録します.

[石渡ページ]


 

今日(117日)の朝刊に「火星でメタンガス噴出 NASA確認 生物や火山活動起源の可能性も」という記事が載っている.地球からの望遠鏡観測で,2003年に火星の西半球で水蒸気とメタンの混じったガスが約2万トン噴出したことをNASAの研究チームが確認し,米誌サイエンスに発表したという.数日前に東京の本屋で平積みになっていたこの丸山氏の縦書きの新刊書を購入し,ちょうど読み終えたところでこの新聞記事を見たので,ワクワクする臨場感があった.

この本の前半は近未来(2030年)の有人火星探査の様子を描いた空想科学小説である.日本人地質学者ケンを含む6人のチーム(周回軌道の母船に1人残るので着陸は5人)が火星西半球のマリネリス渓谷中部のカンドール・カズマを基地として,着陸船ゴジラ号と探査車(ランドローバー)を駆使して,自然・人為両面の様々な困難に直面しながら火星各地の7箇所の調査を行う.西半球のタルシス高原の西端に位置するオリンポス火山は太陽系最大の火山であり,卓状火山の上に楯状火山が載る形をしている.まずこの火山の地熱地帯で微生物の存在を確認し,火星探査の最初の目的を達する.そして,露頭での地質調査と基地での簡易式年代測定によって卓状の部分は35億年前の枕状溶岩,楯状の頂上部分は1億年前までの溶岩からなることがわかり,過去の海洋の存在を証明する.東半球の北部は平坦な低地が続いているが,その中のクレーターの縁ではチャート・枕状溶岩からマントルかんらん岩(蛇紋岩)に至る海洋底オフィオライト層序を発見する.南半球は月に似たクレーターだらけの高地が広がるが,これはいくつかの大陸地殻が結合した「超大陸」であり,強い磁気異常を示す大陸の縫合線に沿ってオフィオライトや広域変成岩を発見する.そしてマリネリス渓谷東部の断崖の露頭では,予想に反して上位ほど年代が古くなる見事な付加体の断面を見出す(これには当然ケンが大活躍する).2つの不整合を含むタルシス〜マリネリス地域のカラーの空想的地質断面図も添付されている.この小説は,火星がもともと地球と同様のプレート運動をもつ水惑星だったが,惑星のサイズが小さいために冷却が速く,既にプレート運動は停止し,「火星は誕生後6億年の間に地球史全部を終了させた(p. 216)」(従って現在の火星は地球の未来像である)という仮説に基づいている.

後半の第4章以後は火星の研究・探査の歴史,火星史9大事件,火星生命の進化,そして地球史7大事件や地球生命との関係について述べている.この中で特に火星「運河」の研究で名高いパーシバル・ローウェルの伝記(第4章)は興味深い.ローウェルは1855年に米国の豊かな織物商の家に生まれたが,18831893年の10年間は明治時代の日本に滞在し,ビジネスの傍ら能登半島や朝鮮半島の旅行記,日本の文明評論などを出版したという.ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)はローウェルが1888年に出版した「極東の魂」を読んで感動し,日本に渡ることを決意したという.ローウェルは38歳で帰国するまで天文学とは全く縁がなかったが,帰国直後に火星の運河説,火星人存在説と出会い,即座にローウェル天文台を設立して火星の観測に没頭した.ローウェルが作成した見事な火星運河の地図は,その後望遠鏡の高性能化とともに否定されてしまうが,ローウェル天文台は遠方の銀河の赤方偏移の発見,冥王星の発見(残念なことに2006年に惑星の仲間から外されてしまった)など重要な天文学的貢献を行い,運河と火星人の存在説はその後のH.G.ウェルズの小説「宇宙戦争」やそれをもとにしたO.ウェルズのラジオドラマなどを通じて米国社会全体に火星への興味を掻き立て,結果として最近の火星探査計画の実現にも大きく貢献した,と丸山氏は評価する.巨大科学を作り上げるには,魅力的な仮説が大きな力を発揮する.火星探査という巨大科学によって,大渓谷や河川・洪水の痕が発見され,ローウェルの「運河」は形を変えて再肯定されたという見方もできる.

残念ながらこの本はやや校正・校閲が不十分で,ヒマラヤの高さが約9000kmp. 29),アルギレとイシディスが逆(p. 48, 9-10行目), ――億年前(p. 83: 数字を入れるのを忘れた?),(地)質調査(p. 122),その生息場所は・・・可能性が高い(p. 242, 14-16行目:文意不明)などの不備があり,付加体・オフィオライトなどの地質学用語や岩石名,「負のクラペイロン傾斜」(p. 190他)などの専門用語が詳しい説明なしに多用されているので,一般の読者には理解し難い部分があるのではないかと危惧される.縦書きに反応式を書いて左辺・右辺と説明するのも分かりにくい(p. 252-253).本書で頻繁に出てくる「もたらせた」は,「もたらされた」または「もたらした」が正しいと思う.しかし,丸山氏の語調には読者を捉えて一気に読ませてしまう力があり,火星の地質・火星史だけではなく,日米の文明比較,科学者の精神の違いについても考えさせられる.惑星の地質は非常に学生の興味を引くテーマであり,私も授業に取り入れているので,この本は火星の地質を教材として総括的に料理するための1つのレシピとしても好適だと思う.私はかつて根上隕石の研究をしたことはあるものの,火星の研究をしたことはなく,主に日本や東北アジアの地域地質を研究してきたが,我々が丹波帯から報告した鉄ピクライト(Ichiyama et al. 2006; Lithos, 89, 47-65)は火星隕石であるシャーゴッタイトに非常に類似していて,その成因には我々の鉄ピクライト成因説(リサイクルした鉄玄武岩・鉄斑れい岩などを含むマントルかんらん岩の高圧での部分溶融)が応用できるという論文も現れていて(Filiberto, 2008: Icarus, 197, 52-59),火星の地質は案外身近な存在になりつつあると感じる.火星隕石はタルシス高原の巨大火山群のどれかの火山から来たと考えられており,もしかしたら,ケンはオリンポス火山で鉄ピクライト溶岩を発見するかもしれない.地質学会の会員諸氏に「火星の生命と大地46億年」の一読をお勧めする.

(石渡 明:東北大学東北アジア研究センター)