日本地質学会 第108年学術大会

(2001 金沢) 見学旅行報告

(2001.12.日本地質学会ニュース第4巻12号9−18ページ掲載)

(各班の集合写真はニュース誌をご覧下さい)

とりまとめ: 見学旅行係 石渡 明
 

全体 1班 白山 2班 大桑 3班 手取 4班 能登 5班 平湯 6班 若狭 
7班 越前
 8班 氷見 9班 立山 10班 片貝川 11班 糸魚川 11班 補足
見学旅行参加者へのご注意とお願い

見学旅行案内書は既に売り切れました.ご了承下さい.ほとんどのコースについては,
「北陸の自然をたずねて」(築地書館)に一般向けの解説がありますので,ご覧下さい.

石渡ページ 岩石クイズ パズル 薄片鉱物鑑定表 



【見学旅行係から見学旅行全体についてのコメント】 もどる


 今回の見学旅行の準備には1年半をかけました。2000年4月にコースと案内者の選定作業を始め,2000年10月に12コースの実施案がまとまり,2001年3月末〆切で計画の立案と案内書原稿の執筆をお願いしました.その間に1つのコースが取りやめになり,結局5月に11コースの原稿が集まりました.今回はできるだけよい案内書にするために,それぞれ2人の校閲者による原稿の校閲を行い,7月中旬に地元の印刷屋に入稿しました.案内書は9月中旬に印刷が完了し,インターネットを利用した事前通信販売を行いましたが,利用者は数人でした.一方,地質学会ニュース5月号に11コースの見学旅行計画案を印刷し,参加者を募集しました.今回初めて申込書にメールアドレスを記入してもらいましたが,これは連絡に役立ちました.〆切の8月6日までに151名の申込がありましたが,定員に達したのは第11班だけで,第7班は人数が少なくこの時点で中止になりました.申込数は大会直前に189名になりましたが,結局21名のキャンセル(うち3人は直前または連絡なし)があったので,実際には全10コース,参加者総数168人で実施しました.案内者26人を加えると総勢194人でした.今回は地質学会会員以外の人も18人参加したので(子供1人を含む),「見学旅行参加者へのご注意とお願い」を案内書に印刷し,受付でプリントを配布しました.また,参加者全員に旅行保険に加入してもらい,各班でなるべく伴走車を用意してもらうなど,危機管理にも気を配りました.見学旅行当日(9/24,25)は好天に恵まれ,どのコースも大きなトラブルもなく無事に予定のコースを見学できたことは誠に喜ばしいことです.案内者,参加者,運転者,学会関係者の皆様と,東急観光金沢支店の木谷嘉成さんに感謝します.また,見学旅行は独立会計ということで,案内書の売上やいくつかの班の黒字分から案内者の下見費用などを捻出せざるを得ず,案内者・補助者の方々に十分な手当てができなかったことをお詫びいたします.(石渡 明 記)

第1班白山コース 白山火山の岩屑なだれ堆積物 もどる

案内者:守屋以智雄・酒寄淳史・東野外志男
参加者:赤井静夫・安東律子・一関敏・及川輝樹・鎌田浩毅・佐藤尚弘・白尾元理・関場清隆・高橋尚靖・竹下欣宏・伝法谷宣洋・中村庄八・松本俊雄・宮坂省吾・和田元子.(15名)

【案内者のコメント01】
 石川県南部の白山スーパー林道沿いの濃飛流紋岩類と岐阜県白山東麓大白川岩屑なだれ堆積物を見学しました。見学旅行2週間前に発生した岩石崩落で林道が閉鎖、一時、中止も心配されましたが、2日前に開通、快晴にも恵まれ、見学旅行はほぼ予定通り行われました。
 1日目、白山スーパー林道では3箇所で下車、濃飛流紋岩類を中心とする地形・地質の説明をもとに観察・議論がなされました。午後から主テーマである4400-4500年前の大白川岩屑なだれ堆積物の観察が、大白川ーアワラ谷合流点付近の林道沿いで、約2時間にわたって行われました。案内者による岩屑なだれ堆積物の岩相、埋積段丘、河川流路の変遷、表面地形、堆積物上の降下火山灰層などに関する説明をうけつつ、熱心な観察、活発な議論が展開されました。岩屑なだれの堆積物全体にわたる激しい硫気変質(空隙内での硫黄結晶の生成、黄鉄鉱斑晶の点在など)の観察をもとに、この堆積物は崩落前に、山頂部での激しい硫化変質をうけただけでなく、流下・堆積後も変質を受けたとの指摘があり、観察と平行して岩屑なだれの流動過程・機構について、ほぼ全員が参加する熱気あふれた討論が続きました。堆積物中のマトリックスが均一な粘土であること、礫の稜角が円磨されている、メガブロックがないなどの根拠から、水に飽和した土石流として流下したとの作業仮説をとなえる一参加者の主張を中心に、岩屑なだれ・土石流の定義・命名法・認定法など、基本的な問題にまで遡る議論がくりひろげられ、反対の証拠を見つけようと、露頭にへばりつくグループが見受けられるほど白熱しました。火山体の大崩壊・岩屑なだれの発生・流動に関して、これまで多くの調査・議論がなされているにもかかわらず、まだ多くの未解決の問題が残されていることを参加者一同あらためて痛感しました。その余韻は夜まで続き、スライドショーもそこそこに、議論に花が咲きました。
 2日目は2000年前に流出した白水滝溶岩流の観察を行いました。溶岩内部の緻密な部分と表面のクリンカー部分を比較観察、表面に火砕流とも思えるマトリックスの多い爆発的噴火による噴出物が見出され、その分布・噴出機構・溶岩流との関係などについて議論が沸騰しました。午後には1586年の天正地震で発生した帰雲崩れとその堆積物を観察しました。
 2日間の見学旅行を通して、露頭の前、宿舎内にかぎらず、活発な議論が行われ、大変楽しく、有意義な時間を過ごすことができました。一番得をしたのは案内者ではないかと、参加者の皆さんに心から感謝しております。ありがとうございました。

【参加者の感想01】
 JR金沢駅をバスにて出発した一行は,鮮明な露頭写真の入った資料をもとに,守屋氏の解説で車窓に見える地形や地質の解説をうけた.平野と山地をわける活断層のつくった地形や扇状地上の段丘,白山火山との関係など長年の調査をもとにした説明は詳しくかつ明確で大変面白かった.途中,アバランチシュートが刻まれた険しい谷壁を縫うように走り,白山火山基盤をなす濃飛流紋岩類の溶結凝灰岩や角礫岩の観察や白山火山の地形と山体形成史の解説でうれしいおまけとなった.昼食後,大白川と庄川の合流点より約4千年前の新期白山火山の巨大崩壊に伴う岩屑なだれ堆積物の見学がはじまった.今回の巡検は各地点で活発な議論が展開され,この地点でも堆積物が岩屑なだれ・土石流のいずれの状態で定置したのか議論になった.その後,さらに上流にバスをすすめ,岩屑なだれ堆積物の最も厚く分布するアワラ谷周辺で見学を行った.ここでも京都大の鎌田氏を中心として岩屑なだれ堆積物の認定をめぐって活発な議論がおこなわれた.夕食後のコンパでは,守屋氏によるコスタリカの火山の美しいスライドを一同楽しんだ.
 2日目は,昨日見学した岩屑なだれを覆う約2千年前の噴火の産物,白水滝溶岩の観察からはじまった.白水滝で溶岩の断面を遠望後,河床の露頭にて溶岩の観察を行った.ここでは溶岩中の包有物やこの溶岩流に伴う火砕噴火があったか否か活発に議論された.その後,再び白川郷に戻り合掌造りの食堂で昼食後,天正大地震の際に埋没した帰雲城跡地へ向かった.帰雲崩れの地形を遠望後,砕石場で岩屑なだれの堆積物の観察を行った.埋没前には帰雲城にはかなりの財宝が蓄えられていたとのことから,崩落堆積物の運搬・定置過程からどこに財宝が埋まっているか地質学的(?)な議論がなされた.
 今回の巡検は長年白山とその周辺地域を研究された守屋・東野・酒寄3氏による詳しい案内・説明によって,議論も活発で面白かった.最後になりましたが,参加者を代表し今回の巡検を企画遂行していただいた案内者の方々にお礼を申し上げます.特に,腰痛をおして案内していただいた守屋氏には厚くお礼を申し上げます. (及川輝樹 記)

第2班大桑コース 金沢の第四紀大桑層 もどる

案内者:北村晃寿
参加者:阿部国広,安藤寿男,梅田真樹,遠藤圭亮,大串健一,加藤正明,鎌滝孝信,北沢俊幸,金 光男,小林武彦,酒井哲弥,篠崎将俊,清水茂楠,高野 修,高松大祐,田島知幸,田中則雄,辻 隆司,中澤 努,中島 礼,仲谷英夫,七山 太,野田 篤,別所孝範,松井俊典,水野清秀,望月浩司,横山芳春.(28名)

【案内者のコメント02】
 天気にも恵まれ,予定通りに,巡検を実施できた.そして現地での議論は,私に多くのインスピレーションを与えた.巡検参加者の皆様に感謝の意を表します.(集合写真はありません)

【参加者の感想02】
 2001年9月24日(月),金沢市犀川周辺に分布する大桑層で巡検が行われた.大桑層は今回の案内者である北村氏らによって非常に精密な研究がなされている.見学は大桑層模式地の犀川河床(Stop 1, Stop 2)と,そこから約4km北に位置する夕日寺(Stop 3)の2カ所で行われた.Stop 1では大桑層基底部が観察され,下位の犀川層のシルト質砂岩には,穿孔性の二枚貝化石やその巣穴が観察され,大桑層が堆積する前にすでに下位の犀川層のシルト質砂岩が固結していたことを示すものである,との説明がなされた.そこから大桑層下部・中部の堆積シーケンスが観察できるStop 2へと下流側に移動した.ここでは,氷河性海水準変動に伴って形成された堆積シーケンスと,それと連動してサイクリックに変化する貝類化石群が観察された.さらに下流に露出する大桑層上部の堆積シーケンスは,道路工事のため今回の巡検の行程には入っていなかったのだが,幸運にも観察することができ,模式地における大桑層の下部から上部までの堆積シーケンスの概要を観察することができた.このように1つのルートでいくつもの堆積シーケンスが連続して観察できるという,非常に条件の良いフィールドである.最後にStop 3の夕日寺へと移動した.ここの地層は,挟まれるテフラによって模式地における中部の堆積シーケンス1から4に対比されている.しかしながら,岩相や貝化石群の変遷様式は模式地とは異なり,それは,水深などセッティングの違いによるものであることなどの議論があった.以上の行程で予定の地点を観察し終え,無事午後5時頃金沢駅で解散となった.大桑層堆積当時の海洋環境を想像しつつ1日犀川流域を歩いて,普段から浅海成の堆積物や貝化石を見ている筆者にとっても,房総の更新統や完新統とは堆積物の面付きや貝化石の構成種も異なり,新鮮な刺激を与えていただけたと感じています.最後に,今回の巡検の案内者である静岡大学の北村晃寿氏に,心から感謝の意を表したいと思います.(鎌滝孝信 記)

第3班手取コース 手取川流域の手取層群と恐竜化石 もどる

案内者:平山 廉,伊左治鎭司,岡崎浩子,後藤道治.
参加者:石田太一郎,井上 昭,今永 勇,内野 哲,太田康弘,香川 淳,勝田和利,兼子尚知,国末彰司,斎木健一,清水以知子,清水桜子,下平 勉,高桑祐司,徳橋秀一,鳥居昭三,細谷正夫,正木建樹,松山幸弘.(19名)

【案内者のコメント03】
 最初の計画では,手取層群を下位層準から見学する予定であったが,連休による博物館の振替休日等のために,計画途中で巡検コースの見学順序を変更した.この変更が巡検案内書の校正に間に合わなかったため,案内書にあるStop番号8→1の順(上位層準→下位層準)で見学を行なった.
 また,案内者の不手際のために,いくつかのトラブルがおきてしまい,参加者の方々に少なからずご迷惑をお掛けしたことを反省している.

【参加者の感想03-1】
 9月24日,巡検は,Stop8福井県立恐竜博物館から始まった.「じっくり見学を」という案内者の配慮で,見学時間は昼食も含めて午後1時30分までだったが,特別展が開催中で,常設展示と両方をじっくり見学するのには時間が足りなかった.新たな機会に見学したいと思う.さらに学会の見学旅行であるので,館内の研究設備の見学もコースに加えてもらいたかった.また,入館料は事前に旅行費用の中に含まれていた方がよい.
 Stop7では勝山市杉山谷の恐竜発掘現場を見学した.案内者の後藤氏から発掘調査の概要と露頭説明を受けた後,現場の対岸にある「丘」の石を観察した.また,案内者の岡崎氏ら数名は杉山川を素足で渡り,露頭観察を行った.この「丘」は,現場から掘り出された石を積み上げたもので,見学の際にも植物や貝,カメなどが見つかった.しかし「丘」自身も将来的な調査対象との理由で,サンプル採集ができなかったのは残念だった.また私事だが,10数年前にこの現場の発掘調査に参加した筆者にとって,この再訪は,感慨深いものとなった.
 25日はStop6白峰村化石センターから始まった.分類群ごとにコンテナを並べ,簡単なディスプレイが用意されていた.化石壁で見つかる化石は脆いものが多く,触れることこそできなかったが,恐竜や哺乳類などの化石を,なめるように観察できたのは参加者一同幸運であった.
 Stop4桑島化石壁を見学した.落石の危険もあり,ちょっとした探検気分であった.ここでは,天然記念物指定の申請対象となった直立樹幹の産状を観察することができた. Stop5では恐竜化石も産出すると言うことで,思う存分化石探しをした.結局,恐竜や哺乳類型爬虫類,哺乳類こそ見つからなかったが,カメ類の化石が多数産出した.また多産する貝類の化石は,関係各位の配慮により採集することができた.
 その後,Stop3西島峠で,桑島層で見られる三角州システムの堆積相の変遷を,上部から下部へと時間を遡りながら見学した.筆者のような素人には,堆積相の違いがスライドや図版ではわかりにくいのだが,実際の露頭や岩石を見ながら岡崎氏の説明を聞くことができたので,わかりやすく有意義だった.
 Stop2では手取川ダムのサイトで石徹白亜層群最下部の五味島礫岩層の観察を行い,最後のStop1では桑島層下部に見られる生痕化石を観察した.ここでは生痕の持ち主がどんな動物であったのか,議論が白熱した.
 この見学旅行の参加者は,様々な年齢,職種の方々だったが,内容にはかなり満足していたように思える.見学旅行の実施にあたり,苦労をされた案内者の方々に感謝したい.
(高桑祐司 記)

【参加者の感想03-2】
 巡検の日の朝は早いので,毎回眠い.重い体を引きずって金沢駅前にたどり着き,ようやくバスに乗り込んだ.「さぁ,出発だ,寝るぞ」と思っていたら,案内者の平山氏と伊左治氏がいない・・・しばし出発をとどめるが,現れる気配はない.しかたなく,バスはStop8の福井県立恐竜博物館へと走り出した.
 目が醒めると恐竜博物館に着いていた.銀色のドームが光り輝く印象的な建築だ.恐竜博の後藤氏が玄関で出迎え,簡単な説明をしてくださった.「では,入館券を購入してご見学ください」.「えっ!込みこみじゃないの?」と思いつつ,館内へ入って見学すること約3時間. 集合時刻に館外へ出ると,平山氏と伊左治氏がいるではないか.二人はアクロバティックな道程でやってきたとか.ふたりのバイタリティと責任感あふれる行動に,参加者の話題が集まったのはいうまでもない.
 午後の予定も無事終わり,白峰村の宿泊施設へ.ここの展望はすばらしく,年に何度もないというほどはっきりと,白山の頂が目の前にそびえていた.夜の空も晴れわたり,満天の星空の下,宿にあった望遠鏡で天体観測をおこなった.星を見るのは久しぶりのような気がする.いつも足元の石ころばっかり見てるから.
 2日目,桑島化石壁では,たまたま見学に来ていた茨城大学の安藤氏と学生さんたちに偶然出会った.ここから氏の一行と合流し,説明を受けたりさまざまな議論をすることができた.
 さて,いよいよ最後のStop1を離れ,再び金沢駅へと向かう.今回の巡検は,学会歴50年を越すという古参会員から小学生の女の子まで,幅広い年齢層の参加者が集まり,楽しい旅行となった.これまでの記録はないかもしれないが,参加者の年齢幅では学会巡検の新記録ではないだろうか.高桑氏の記事に詳しく述べてあるとおり,案内者の方々のおかげで内容は充実していて,わずかな期間で手取層群の特徴を知ることができた.この紙面を借りて,感謝の意を表したい.予想外のことがいくつかあったが,それもまた大いに楽しめるトラベルだった.(兼子 尚知 記)

【参加者の感想03-3】
 このたびの巡検では何かと大変お世話になりました.有難く厚く御礼申し上げます.全体として大変学ぶ処の多い素晴しい巡検でした.心より感謝致して居ります.いろいろご教示頂きありがとうございました.私,戦争のため医学に転進しましたが,地質学は人生の大切な支えとなっています.もう54年も学会に在籍させて頂いて居ります.今後共よろしくお願い申し上げます.とりあえず御礼申し上げます.
(鳥居昭三 記)

第4班能登コース 能登半島第三紀の火山岩と堆積岩 もどる

案内者:加藤道雄,神谷隆宏
参加者:飯島 力,江藤哲人,岡村行信,鎌田 耕太郎,亀高正男,小林祐一,鈴木尉元,中条武司,成田 盛,林 美明子,松原尚志,山路 敦.(12名)

【案内者のコメント04】
 前日までの肌寒いほどの天候とは打って変わって,晴天に恵まれ暑いほどの好天のもと,トラブルもなく2日間の見学旅行を終えることができた.小・中・高校の教諭,研究所,博物館,大学,企業等の研究者,さらに大学院学生など様々な立場の方が,さらには化石,火成岩,海洋地質,構造など専門分野も多岐にわたる方々が参加され,一部変更はあったものの,予定していた観察地点を順調に回ることができた.
 1日目は,巌門の火砕岩,琴ヶ浜の石灰質砂岩とそれに貫入する安山岩,ならびに道下層で活発な議論が行われた.巌門では火砕岩の形成機構が,貫入岩の露頭では貫入時の温度に,そして道下層礫岩砂岩互層の海岸沿いの連続露頭では,道下層の構造に議論が集中した.道下層には1枚の凝灰岩が追跡されてはいるが,周辺に分布する礫岩,砂岩は一括されている.しかしながら,深見から鹿磯にかけての連続露頭には数枚の厚い凝灰岩が挟まれており,詳細に追跡すればより構造が明瞭になるであろうとの指摘を受けた.初日の最後には参加者の強い希望があり,当初の予定にはなかった曹洞宗本山総持寺祖院参拝も追加した.
 2日目の南志見層のstopは,露頭状況により国道沿いから採石場の露頭に変更した.高さ5〜6mの露頭でも興味深い見解が披露された.一部有機物が密集したような黒色泥岩が上下方向にほぼ一列に並んでおり,その周囲にだけ(素人目にはシロウリガイに似た形態の)貝化石が見られた.これをもとに,南志見泥岩層堆積時の様子についての意見交換が行われた.
 参加者の皆さんには,露頭前でも宿舎ででも活発に意見の披露,議論をしていただいた.ほぼまとまったかような印象のある能登半島の地質も,従来とは見方を変えた調査の必要性を改めて痛感させられた.案内者としても非常に勉強になった有意義な見学旅行であり,参加者各位に心より感謝の意を表する次第である.

【参加者の感想04-1】
 弁当忘れても傘忘れるな、といわれるほど雨の多い地にはめずらしい、好天に恵まれた二日間の巡検であった。
 初日は、能登半島西部から北西部に分布する中新世前期の穴水層の安山岩質溶岩・火山砕屑岩、柳田層の凝灰岩、道下層の礫岩、中新世中期の関野鼻層の石灰質砂岩、これを貫く中新世後期の黒崎安山岩を見た。いずれも海岸沿いの大露頭で、岩石の産状や構造を細かく観察できた。松本清張のゼロの焦点の映画のロケの舞台になったヤセの断崖,その近くの義経が舟を隠したとされる入り江などの紹介を聞きながら、穴水層の呈する絶景を楽しんだ。放射状の割れ目の入った黒崎安山岩の大きな貫入岩体が、関野鼻層の石灰質砂岩を貫く露頭へは、門前町の海岸に分布する泣き砂の感触を楽しみ、教科書的な産状の観察を楽しんだ。
 二日目は、能登半島北部に分布する中新世前期の柳田層の角礫凝灰岩、中新世中期の輪島崎層の石灰質砂岩、中新世中・後期の東印内層の礫岩砂岩互層、岩倉山流紋岩、南志見層の塊状泥岩を見た。輪島崎層には、海食台上に東西方向の短軸向斜構造が認められ、様ざまな生痕と貝殻片が多く観察された。岩倉山流紋岩は、20mもの巾の火道角礫岩に貫入され、一部真珠岩も見られた。今から200年ほど前麒山和尚が13年かけて刻んだというトンネル、海岸に沿う崖道をたどって、大きな崖にそれらの岩質や構造を見ることができた。
 石川県の新第三系・第四系というと、どこでもかせ野義夫さんのお名前がついてまわっている。道下層の礫岩には、20-30mの厚い凝灰岩層が挟まれていたが、これからは、このような層を丹念に追跡し、また火山岩体についても産状や構造を細かく記載して、より精度の高い地質図のご被露を期待したい。
 今回の参加者は12名、リーダーの加藤道雄さんと神谷隆宏さんが自らハンドルを握ってご案内下さった。よい景色、すばらしい露頭にみな満足して巡検を終わった。無事実り多い巡検をお世話下さったお二人に感謝申し上げる。(鈴木尉元 記)

【参加者の感想04-2】
 二日間に渡る巡検は,天候にも恵まれ,能登の豊かな自然を満喫することが出来た.今回の巡検の参加者は,案内者の加藤道雄さん,神谷隆宏さんを含め14人であった.学校の教員の方,研究機関の方,博物館の方など,さまざまな方面で活躍しておられる方々とふれあうことができ,興味深いお話を聞かせていただいた.
 能登半島はほとんどが第三紀に形成された火山岩類・堆積岩類から構成されており,露頭が海岸沿いに多いことから,きれいな地層が見られることを楽しみにしていた.9月24日,巡検1日目は能登半島の西海岸に沿って,北上しながら火山岩・堆積岩を観察した.ドライブウェイにもなっている千里浜を通り,巌門に向かう.観光地にもなっている巌門では,見事な穴水層凝灰角礫岩の露頭を観察することができた.関野鼻では関野鼻層石灰質砂岩,琴ヶ浜では関野鼻層石灰質砂岩と黒崎安山岩の素晴らしい露頭が見られたが,中でも琴ヶ浜の石灰質砂岩と安山岩の貫入関係は興味深いものであった.安山岩と砂岩の接触面にはチルドマージンが形成されてはいるものの,明確に判断できる程ではなく,安山岩が比較的低い温度で貫入してきたと考えられる.また,安山岩には放射状の柱状節理が見られ,貫入してきた頭部であると考えられるということであった.1日目の最後には門前町の総持寺で中新世の珪化木を観察したあと,お寺へお参りした.境内の美しい庭園が印象的だった.宿泊は国民宿舎輪島荘で,夜の懇親会でも様々なお話を聞くことが出来た.
9月25日,巡検2日目は,輪島荘の鴨が浦から始まった.海に面した大露頭で,輪島崎層の石灰質砂岩であった.生物擾乱が激しく構造はほとんど残っておらず,貝化石を見つけられた方もいた.千枚田では車中からではあったが地すべり地形を観察した.この付近の名物になっているという.東印内では東印内層礫岩砂岩互層を観察し,町野町伏戸では南志見層泥岩を観察した.最後の曽々木海岸では「接吻トンネル」というロマンチックなトンネル(トンネル内が真っ暗なため)をくぐり,流紋岩の溶岩と,角礫岩の火砕岩岩脈を観察した.これは噴出した溶岩の割れ目に様々な礫が入り込んだ岩脈で,珍しいということであった.
 今回の巡検は露頭も素晴らしく,興味深いものであった.能登半島は地質学的にもバラエティに富み,またぜひ訪れたい所である.案内者の加藤道雄さん,神谷隆宏さんには,露頭の案内から車の運転,懇親会まで細部にわたるお世話をしていただき,この場を借りて心からお礼申し上げます.(林 美明子 記)

第5班平湯コース 北陸環境地質と温泉めぐり−防災,干拓,温泉バイオマット もどる

案内者: 田崎和江,矢野洋明
参加者:朝田隆二・足立奈津子・今井茂雄・今井秀浩・江崎洋一・小林晶子・玉生志郎・縄谷奈緒子・新妻祥子・N. Fadeeva(10名)

【案内者のコメント05】
 地質学会で環境地質(河北潟、地滑り地帯の工事・施工、重金属汚染地帯)と温泉バイオマット(平湯温泉のCa, S, Mn, Feのバイオマット)の見学巡検は初めてでしたが、参加者によろこんでいただき企画してよかったと思います。参加者の専門分野も多様で現地討論と夜間討論も活発に行われました。(集合写真は田崎撮影)

【参加者の感想05-1】
 5班の見学旅行では、環境保全や斜面防災について、現地で直接手に触れて学習することができました。干拓に伴う水質汚染や鉱山からの重金属流出については、今後益々注目されてくると思います。開発事業と環境保全は表裏一体の関係であり、そのバランスの取り方が非常に難しいと感じました。特に、鉱山のズリ山の植生が非常に貧相な事と、いまだに、重金属が下流に流れている事に驚きました。下流の富山県民としては、複雑な思いがします。
 斜面防災に関しては、岩稲地滑りとロックシェッドを見学することができました。斜面崩壊は毎年必ず起こっており、私たちは常に被災する可能性があると思います。普段あまり気にせず通っている道路は、様々な対策により維持管理されている事に、改めて感心しました。その対策工を見学できたことは、非常に有益でした。
 平湯温泉では、様々なバイオマットを見学しました。今思うと、これまでに温泉地でバイオマットを何度も見ておりましたが、ただ湯ノ花が固まった物やゴミの一種かと思っておりました。しかも、バクテリアが、鉱物をこんな身近な所で形成していたとは、考えもしませんでした。まさに、目からウロコが落ちる思いで、今回の温泉巡りをさせて頂きました。
 今後は、バクテリアが造る生体鉱物と重金属汚染の浄化対策との研究が、重要になってくると思います。まさに、ミクロの世界からマクロな問題を考える、貴重な体験をする事ができました。
 最後に、盛りだくさんの見学旅行を企画して頂き、有り難うございました。非常に楽しかったです。(今井秀浩 記)

【参加者の感想05-2】
 先日の地質学会で平湯の巡検に参加させていただいた小林です。巡検ではいろいろな分野の方と話ができ、良い刺激になりました。とくに、夜の学習会で、バイオマットの最近の研究成果を楽しそうに話されていた田崎先生の姿が印象的でした。それから温泉も、とてもよかったです。他の応用地質分野の学会・団体の巡検に比べて、学生や研究者が多く参加するので、いろいろな考え方の人と話すことができるのが、地質学会の巡検の魅力だと思います。これからも学会の巡検で、応用地質や環境分野のものがあればいいなあと思います。楽しい巡検をどうもありがとうございました。(小林晶子 記)

第6班若狭コース 福井県西部の夜久野オフィオライトと丹波帯緑色岩 もどる

案内者:石渡 明,中江 訓.補助者:小泉一人.
参加者:石井和彦,植田勇人,梅田美由紀,永広昌之,太田充恒,遅沢壮一,柏木健司,加藤 潔,金谷貴正,鎌田祥仁,河尻清和,小嶋 智,佐藤広幸,高嶋礼詩,高橋直樹,高橋裕平,武辺勝道,竹村静夫,苗村康輔,西村貢一,羽鳥謙三,原 英俊,A. I. Khanchuk,堀 常東,御前明洋.(25名)

【案内者のコメント06】
 2日とも晴天に恵まれ,特にトラブルもなく,快適な中型観光バスで予定された9地点を順調に観察することができた.
 1日目では,Stop1のコンプレックス境界断層の露頭に参加者の関心が寄せられたようだ.ここでは南側に下位コンプレックスの砂岩が,北側に上位コンプレックスの緑色岩が分布し,両者はN46°E走向・74°N傾斜の断層によって接しており,周辺の広域的な地質調査からこれがコンプレックス境界断層に相当すると判断した.通常,このような境界断層では強い剪断や変形が伴われると予想されるが,ここでは断層自体が殆ど破砕帯を伴わないこと,そして上下の岩石には露頭でも鏡下でも顕著な剪断構造や変形があまり認められないという特徴を持っている.この点は参加者からも「本当に境界断層なのか?」といった疑問が寄せられた.そこで,断層直上位の劈開の発達した玄武岩火山砕屑岩としたものが,本当に砕屑性なのか,あるいは玄武岩起源のカタクラサイトの可能性はないのか,という観点からも,今後の検討を続けたいと考えている.
 2日目の観察地点の中では,Stop 5の岩脈と岩脈の間(スクリーン)にある白色〜灰色の塊状岩石が泥岩起源のホルンフェルスであるとする案内者の説明が参加者にとって最も納得しづらかったようだ.この岩石のXRF全岩分析値(wt.%)はSiO2=65.97, TiO2=0.65, Al2O3=15.44, FeO*=3.38, MnO=0.02, MgO=1.68, CaO=1.43, Na2O=4.71, K2O=4.45, P2O5=0.24でTotal=97.97である.この分析値だけから泥岩なのかデイサイトの溶岩または凝灰岩なのかは断定できない.しかし,問題の岩石は塊状で斑晶や気泡充填物の痕跡が認められないこと,他の地点で黒色泥岩を数m以上の幅の輝緑岩岩脈が貫く場合,ほとんど例外なく,岩脈に接する泥岩がこのような白色〜灰色のホルンフェルスに変化しているのが観察されること,夜久野オフィオライトの火山岩部分においては,一般に厚い輝緑岩岩脈が多い地域には厚い塊状黒色泥岩が伴う傾向があること,夜久野オフィオライトの火山岩は基本的に玄武岩と流紋岩の二極的組成分布を示し,安山岩やデイサイトは少ないこと,などの理由で,問題の岩石は泥岩が多数の岩脈に貫入されホルンフェルス化したものであると考えている.参加者の皆さんには,露頭でも宿舎でも活発な議論をしていただき,案内者として心から感謝する.

【参加者の感想06-1】
 この見学旅行では、丹波帯・超丹波帯・夜久野オフィオライトと順に累重する地質体の構成岩類の産状や接触関係を若狭湾の海岸沿いに見学した。見学地点は9地点で、その内容は、1)丹波帯のコンプレックス境界断層、2)丹波帯の斜長石巨晶を含む玄武岩、3)丹波帯の緑色岩および赤色石灰岩ー珪質堆積岩類、4)丹波帯と超丹波帯を境する衝上断層、5)夜久野オフィオライトの輝緑岩岩脈群、6)夜久野オフィオライトと超丹波帯を境する衝上断層、7)夜久野オフィオライトのモホ面露頭、8)夜久野オフィオライト超苦鉄質火成沈積岩の層状構造、9)夜久野オフィオライトのマントル構成岩類と下位の超丹波帯、であった。初日は丹波帯と超丹波帯(1〜4)を、2日目は夜久野オフィオライト(5〜9)をおもに見学した。また、宿舎でも、夕食後にミーティングが持たれ、持参したOHPを用いて観察地点の解説などが詳しくなされ、さまざまな質問や議論が行われた。その後、懇親会に移行した。
 見学コースは、時間的に無理なく設定され、内容的にも非常によく練られていたように思う。とくにすべての見学地点で、単に構成岩類の特徴だけでなく、それらの産状を観察することができたことは非常に有意義であった。参加者による議論の多くもその点が焦点になっていたように思う。たとえば、stop 1 では、境界断層周辺の岩石の変形様式や玄武岩やドレライトに取り込まれたようなチャートの産状について議論されていた。また、stop 3 では、玄武岩の上に珪質堆積岩(泥岩〜チャート)が累重し、さらにその上に玄武岩と石灰岩の混在岩という層序がほぼ2回繰り返しているのが観察された。しかし、案内者の説明によれば、下位と上位の玄武岩では化学組成が異なるそうで、産状と合わせて形成過程がいろいろと議論された。
 stop 5 で観察された岩脈群の母岩は、灰色〜白色の塊状岩石で、参加者からは酸性凝灰岩に見えるという声も聞かれたが、案内者から、黒色泥岩から漸移し化学組成も類似することから泥質ホルンフェルスと考えているとの説明があった。stop 7-9では、夜久野オフィオライトのうち、モホ面付近の岩相変化を観察することができた。中でも、きれいな層状構造を持つ沈積岩は参加者の注目を集めていた。最終見学地点のstop 9 では、海岸の遊歩道沿いに、はんれい岩・輝石岩・ダナイト・ハルツバージャイトと順に見ることができ、その下位の超丹波帯は、赤色のチャートや珪質泥岩からなる。私をはじめ参加者の多くにとっては、地殻下部からマントルを構成する岩石のほぼ連続的な露頭を見るのは初めてで、感動的であった。さらに、かんらん岩がせん断変形により礫岩のような産状を示すのが印象的であった。また、途中の砂浜には緑色のかんらん石の砂(オリビンサンド)があり、参加者はサンプル袋やフィルムケースなどに採取していった。
 最後に、この巡検の案内者の方々および露頭の草刈りなど協力してくださった方々に参加者を代表して御礼申し上げます。学問的内容以外でも、海の幸豊富な食事、昼食時の地ビール、懇親会での若狭巡検特製生酒をはじめとして、海に面した大浴場からの絶景、その時々の観光案内にいたるまで、案内者のきめ細かい心尽くしが感じられる巡検でした。ありがとうございました。【石井和彦 記】

【参加者の感想06-2】
 金沢での地質学会の後,若狭班の見学旅行に参加しました.私は付加体中の緑色岩やオフィオライト質岩の付加機構に興味があるので,それぞれ本邦の代表的な付加体・オフィオライトである丹波帯と夜久野オフィオライトでの苦鉄質〜超苦鉄質岩の産状を見てみたいと思い,参加しました.
 朝7:10に金沢駅に集合し,快晴の中バスは出発しました.今庄のあたりを過ぎトンネルを抜けると,若狭湾の複雑な海岸線と青い海が見えてきました.敦賀駅で全員が揃いました.北はウラジオストクから南は九州大まで各地の様々な分野の方が集まり,学部生を含む20代の方もいました.初日は産総研の中江さんの案内による丹波帯緑色岩,二日目は金沢大の石渡さんの案内で夜久野オフィオライトを中心としたスケジュールです.露頭の大半は波に洗われた海岸露頭でした.
 さて,最初の地点は丹波帯中の2つのコンプレックスが薄い断層1枚でぴったり接するという露頭でした.断層に接する火山砕屑岩様の緑色岩はカタクレーサイトではないかという意見が出るなど,緑色岩における変形の有無を認識する難しさを実感しました.夜の呑み会でも議論が出たのですが,ある緑色岩スラブが一枚板か複数の岩体のスタックかを把握する場合にも同様のことが問題になるのでは,と感じました.STOP2・3は緑色岩体内部の観察でした.いずれも単一露頭内で組成タイプが異なる玄武岩が産するというもので,従来の散点的なサンプリングにとどまらず,岩体内部の層準ごとに細かく分析する必要性があるのではというお話でした.
 夜は夕暮れの日本海を眺めながらの風呂と,豪華な海の幸の満腹地獄を堪能しました.
2日目は夜久野オフィオライト上部の岩脈群を観察した後,おもにモホ面付近の岩相を見学しました.ガブロ起源のスピネル−グラニュライトやダナイト−単斜輝岩の美しい層状沈積岩体,溶け残りかんらん岩や斜方輝岩など,下部地殻の最下部から上部マントルにかけての多様な岩石について,丁寧に教えていただきました.最後の露頭(赤礁崎)は,超丹波帯のチャート−砕屑岩シークエンスでした.チャートはとても新鮮で,波に洗われた表面には放散虫が浮き出ていました.露頭の脇ではタコが泳いでいました.
 最後に,案内者の石渡さん・中江さん,そして補助役の小泉さん,どうもありがとうございました.事前に草刈された露頭・おいしい料理・たくさんの飲み物,そしてすぐれた景観のコースに楽しませてもらいました.バス中での歴史解説も楽しかったです.(植田勇人 記)
 (この他に,参加者の梅田美由紀さん,羽鳥謙三さん,加藤 潔さんから礼状をいただきました.)

第7班越前コース 越前海岸沿いの地質と離水地形

案内者:梅田美由紀・中川登美雄・山本博文(中止)

第8班氷見コース 氷見付近の第三系層序と冷水域炭酸塩堆積物 もどる

案内者:荒井晃作・大久保 弘・渡辺真人
参加者:大野研也・大村亜希子・小西健二・里口保文・正田浩司・竹内圭史・田村糸子・保柳康一・藤岡導明・山田伊久子・山田 桂.(11名)

【案内者のコメント08】
 好天に恵まれ,ほぼ予定通りの見学旅行ができた.大境海岸沿いに発達する大境海緑石砂岩層は干潮時(昼過ぎ)に観察しやすいこともあり,当初の予定を変更してSTOP 3からSTOP 1に向けて見学しながら灘浦海岸を北上した.また,バスでの見学旅行を予定していたが,人数の都合で車2台に分乗しての移動となった.そのため,移動に要する時間が節約でき,薮田奥のため池横の露頭(STOP 3とSTOP 2の間)を見学地に加えた.大境に露出している大境海緑石砂岩層は薮田層に直接覆われている.一方,新たに見学地に加えた薮田奥のため池横の大境海緑石砂岩層は薮田層の下位層である阿尾層中に挟まれるPM火山灰層の下位に位置している.海緑石類は堆積物が長い時間,海底面に露出していることによって形成されると言われており,”無堆積”を示す指標として重要であることはよく知られている.わずか10km程度の距離において両地域の海緑石砂岩層の形成終了時期および次の堆積開始に大きな時間差(二百万年前後)があったことを,直上の地層の地域的変化によって実際に観察できた.阿尾層以降の氷見層群については,火山灰,微化石層序の枠組みによって,これまで漠然とイメージしていた発達様式が,解き明かされつつあるのを実感した.高岡市頭川層,氷見市十二町層,薮田層に広がる石灰質堆積物は,陸側から沖に向かって連続的に冷水域炭酸塩堆積物の発達様式を観察できる例としては,きわめて貴重であると言える.頭川層の土砂採取場の見学の許可をいただいた株式会社城東工業さん,またそのお手伝いをいただいた高岡市役所の方々に感謝したい.
 また,本見学旅行では堆積,火山灰層序,古生物など,多岐にわたる研究者が集まったことで,露頭前では様々な視点から活発な意見交換が行われた.案内者にとっても非常に有意義な見学旅行であったことを最後に付け加える.(荒井晃作 記)

【参加者の感想08-1】
 本見学旅行は富山県氷見市〜高岡市付近の第三系について,特に層序・火山灰,冷水域炭酸塩堆積物を案内していただく内容であった.24日に行われ,案内書以降に付け足された箇所を加え,全部で6ヶ所を訪ねた.海岸の露頭を見学する関係から干潮の状態を見つつ,Stopの順番が案内書とは若干異なっていたが,天候にも恵まれすべての場所を順当に回ることが出来た.
 見学した内容は大きく分けて前半部分のテフラを見るものと,後半部分の堆積サイクルや堆積場を見るものに分かれる.
 前半はテフラの露頭を見るものであった.これらのテフラはいずれも広域対比が行われているものである.噴出源が比較的近いとされているPM火山灰については,露頭前で広域対比と,火山灰についての堆積機構と古地形との関係などについて活発な議論が行われた.
 前半が終わったところで,海越しの立山連峰を見ながらの昼食で,案内者の一人曰く,この巡検でもっとも重要なポイントの一つとの事.昼食の最中には,昼食場所の海岸にある崖についての話が持ち上がった.
 後半は主に冷水域炭酸塩堆積物についてであった.このうち,海岸にみられる海緑石砂岩について,その生成などは非常に興味深いものがあった.十二町層中部の堆積サイクルをみる露頭は,やや露頭条件が悪い部分があったものの,ほうき砂の成因や堆積サイクルについての活発な議論が行われた.
 私の興味としては広域対比のテフラをみる部分はおもしろく,特にこれまで見てきた他の地域の火山灰との違いや岩相変化など観察すべき所は多かったが,一つの露頭でそれほど長い時間がとれなかった事が残念だった.ただし,いくつかの露頭を見て回り議論をするといった見学旅行としての見学時間としては順当なものであったと思われる.
 最後に,見学地から遠くにすんでおられながらこの見学旅行の準備をされ,丁寧な案内をしていただいた案内者の荒井氏,大久保氏,渡辺氏にお礼を述べたい.(里口保文 記)

【参加者の感想08-2】
 昨日までの肌寒い天気がうそのような晴天に恵まれ,午前8時すぎ,2台のワゴンに乗り込み,金沢駅を出発した.氷見地域には鮮新-更新統阿尾層,谷内層,薮田層,十二町層,頭川層が広く分布する.これらの地層は広域に対比される火山灰層を挟在し,珪藻化石などにより堆積年代が詳しく研究されている.参加者の専門分野は,火山灰の広域対比からシーケンス層序,微化石に至まで幅広く,一つの現象を様々な視点からとらえた議論が活発に行われ,大変興味深い意見を聞くことができた.
 最初に訪れたStop 3では,薮田層の層厚6mもの広域火山灰を見ることができた.この火山灰はタービダイトの堆積構造を保持しており,これまで,数十cmの塊状白色火山灰しか見たことがなかった私には,驚くばかりであった.昼食は虻が島の見える海岸でいただいた.立山を遠方に望む虻が島の絶景は,残念ながら目にすることができなかった.しかし,立山の山すそが霞み,まるで宙に浮いている島を思わせるような幻想的な風景であった.
 午後の最初はStop 1で海緑石濃集層とハイエイタスがある不整合面を見ることができた.海緑石は想像と全く異なり,暗緑色に近い中粒砂サイズであった.
  Stop 4では,十二町層の3つの堆積相が見られた.ここでは堆積物中にほうき砂と呼ばれる不思議な構造が見られ,その成因について様々な議論が交わされた.3つの堆積相は繰り返し重なっているが,堆積相の境界を確認できなかったのは非常に残念だった.
 最後のStop 5は採土場で,頭川層の二枚貝化石を豊富に含むチャネル構造が発達した露頭が見られた.あらゆる角度から地層の断面を見ることができ,堆積構造を理解しやすかった.また,一日見てきた薮田層,十二町層,頭川層は堆積相の全く異なる地層であるが,挟在する火山灰層の対比から,同時期の堆積物であることが明らかになったという話を聞き,改めて火山灰層の重要性を感じた.
 この巡検の参加者が少人数であったこと,私の専門とは異なる分野の方々が多く参加されていたこと,そして案内者の方々が説明に様々な工夫をして下さったおかげで,私にとって非常に充実した巡検となった.最後に,丁寧に解説していただき,今回の巡検のために様々な準備をして下さった案内者の方々に,参加者を代表して深くお礼申し上げます.(山田 桂 記)

第9班立山コース 立山カルデラ−新湯・砂防と跡津川断層 もどる

案内者:赤羽久忠・竹内 章・山本 茂・國香正稔 補助者:ハスバートル
参加者:鮎沢 潤,岩木雅史,大井信三,小田切聡子,斉藤 眞,斉藤清克,佐野郁雄,高橋 泰,永田秀尚,長橋良隆,丹波正和,野崎 保,浜田昌明,藤井幸泰,藤岡換太郎,吉田 進(16名)

【案内者のコメント09】
 巡検9班「立山カルデラ----新湯・砂防と跡津川断層」は、学会最終日の23日夕方学会会場に集合し、その日の内に立山山麓の「白樺ハイツ」まで直行し、翌日8:00出発し片道2kmの沢登りという少々ハードなスケジュールであった。当初、案内者の連絡不手際もあって金沢での集合に若干のトラブルがあったものの、総勢21名は全体として順調にスケジュールをこなすことができた。
 1日目(24日)は立山カルデラ砂防博物館に体験学習会用バスを用意していただき、絶好の好天にも恵まれて立山火山溶岩の露頭を観察し、断層地形の観察と砂防事業の説明を受けた後、少々キツイ沢登り2時間で、蛋白石や珪化木を形成中の新湯に到着した。新湯では、蛋白石や珪化木の形成現場を直に観察した。2日目(25日)は5台のマイカーに分乗して真川湖層や跡津川断層の大露頭・断層トレンチ跡・断層地形を見学した。
 24日の夜は宴会後もほとんど全員が幹事の部屋に集まって盛り上がり、夜遅くまで夫々の体験や意見を語り合って、幹事から「もう遅いし明日もありますので、そろそろ休みませんか?」という声が出るほどであった。
 両日とも、普通では訪れることのできないポイントを訪ねることができ、案内者の説明にも大方の満足は得られたものと思う。
 国立公園内での巡検に多大な便宜を図っていただいた立山カルデラ砂防博物館、急遽助っ人に加わっていただいた富山大学への留学生ハスバートル氏に感謝いたします。(赤羽久忠 記)

【参加者の感想09-1】
 地球科学で扱う自然現象の多くは過去の痕跡であり、リアルタイムで観察できるのは比較的希である。その意味では立山班の「新湯」は現役のオパール生成現場であり、貴重な存在であるといえる。アプローチは確かに健脚向きの沢歩きであった。
 思った以上に速いペースで進んだが、参加者の大半は徒歩2時間という条件を承知で参加していたため、途中の岩場も難なく通過していった。とは言え、2日も続いたまれにみる好天と案内者の方達の努力には再度感謝したい。新湯は淡青色の湯(70度)をたたえた池で、岸に立つとサウナの中にいる様でとにかく暑い。1858年の安政地震以来、湧出し続けているとのことである。地熱を体感しながらオパールの脈と湯泥の状況を観察した。今回、オパール脈の隙間に沈積している玉滴石が現場で観察できたことが非常に嬉しかった。だが、100年前の採集標本レベルにはほど遠く、できることなら当時の現場を見てみたかったというはかない願が頭をよぎる。個人的には数日かけて観察したかった程だが、時間の都合1時間ほどの滞在であった。
 2日目は跡津川断層の大露頭を観察し、みなで断層粘土を観察させてもらった。こちらも活断層露頭を表土付近まで追って観察できることが貴重な存在である。優白色の花崗岩と褐色の礫岩・砂岩層(真川湖成層)という異種岩層が断層で接しているため、地質を知らない人でも理解しやすいであろう。実はこの露頭を私は10年前に観たことがあるのだが、同じ露頭とは思えぬほど荒れていた。風化による自然崩落だと思うが、3〜5m程後退した様に見えた。そのうち露頭跡になりかねない状況であり、今回この巡検で観察できたことが20年後ぐらいには「幸運な事」となる可能性がある。そう考えると、ますます巡検に参加できて良かったと思う。(山梨県立宝石美術専門学校 高橋 泰 記)

【参加者の感想09-2】
 この巡検は,9月24日・25日に行われ,立山火山噴出物・新湯・砂防・跡津川断層・真川湖成層と立山で見ることができるものをすべてみようという非常に意欲的なものであった.両日とも天候が良く,とくに一日目は雲一つ見られない奇跡的な青空で,その青に立山連峰が映え,とてもすばらしい景色を堪能することができた.そのおかげで,沢登りが2時間ほどあったが気持ちの良いものであった.
 9月23日から白樺ハイツに宿泊し,さっそく向ったのがStop1の有峰トンネル入り口で,立山火山第1b期噴出物の柱状節理・板状節理を観察した.今にも崩れ落ちそうな板状節理におののきつつも,柱状節理の下部に荷重がかかって,前に倒れようとしている過程の一部を見ることができた.Stop2・3では,立山カルデラの全体像を眺望し,迫力ある景色を見ることができた.砂防に関しては,小さい堰堤をいくつも作り,面として効果を得ていたり,堰堤を未完成の状態にし,土砂を少しずつ流すことを最近行っているということを知りました.Stop4の立山温泉新湯には,約2時間かけて沢を登りたどり着いた.もうもうと湯気を立ち上らせている新湯の横で玉滴石を探したが見つけることはできず残念であった.しかし,珪化木は新湯の湯が流れ出る滝のところなどにあり貴重なものに触れることができた.また,玉滴石の発見秘話も聞くことができ,貴重な発見とは執念と運によるものだと思った.Stop5では,白岩砂防ダムを展望し,いくつも連なっている堰堤を見ることができた。その後,時間の関係で天涯の湯に浸かることができず,手を入れるだけだったのが心残りではある.
 二日目は,有峰湖から跡津川断層を展望することから始まった.Stop7・Stop8−1では,真川湖成層の露頭を観察した.Stop8−1の砂岩と粘土の互層中には,材化石が挟まっており,組織もしっかり残っているものがあって驚きであった.Stop8−2,3では,跡津川断層の露頭を観察した.Stop8−2では断層露頭を見るために勇敢にも縄梯子などを使い,崖を降りていった人もいた.Stop9では,広域テフラK‐TZを観察した.この露頭は,草木が生い茂る斜面にあり,よく見つけたなあと感心すること頻りであった.
 この巡検は,内容が少し異なるものを一度に見ることができ,それぞれに見所があり,とても楽しく立山のすばらしさを大いに感じ取ることができた有意義なものであったと思う。最後に貴重な体験をするきっかけを与えてくださった案内者の方々に参加者を代表して心からお礼を申し上げます.(中部日本鉱業研究所 岩木雅史 記)

第10班片貝川コース 飛騨帯東部の変成岩類と花崗岩類 もどる

案内者 椚座圭太郎(富山大学)、金子一夫(立山博物館)
参加者 石田直人(九大)、小笠原正継(産総研)、柿原真二(飛島建設)、志村俊昭(新潟大)、高木秀雄(早稲田大学)、壷井基裕(名大)、中島 隆(産総研)、水野耕平(筑波大)、渡辺暉夫(北大)(9名)

【案内者のコメント10】
 飛騨変成帯の常識を変えてもらうべく、年代測定をした露頭に行って露頭を語らず、巨大な転石研磨試料で露頭を読むという巡検を企画した。参加者は9人であり小型バスからジープに変更したため機動力が増し、片貝川上流の宇奈月変成帯にも足を延ばすことができた。ほとんどの方が年代測定や高温の変成岩や花崗岩の研究者であり、休憩なし、露頭で昼食弁当かき込みという強行軍でありながらも、露頭での議論も活発であり案内者も勉強になった一日であった。なお、日帰りであり参加者が少なかったので、感想は全員の方に短いものをお願いした。(椚座圭太郎 記)
 案内者でありながら、変成岩にはまったく門外漢。しかし、参加者全員がその道のプロ、そして好天に恵まれ、滞りなく巡検を終えることができ、ほっとしている。7年前、企画展で展示した巨大研磨試料が好評であったことに満足している。地方の博物館が地元の試料をきちんと収集し、情報を提供すれば、専門家も納得できる企画ができることを改めて確認した。(金子一夫 記)

【参加者の感想10-1】
 速やかな露頭案内と最新のデータによる解説によって、飛騨の岩石の特性について理解を深めることができました。特に微小領域の年代データは、これまで私の抱いていた飛騨帯のイメージを一新させました。わずか一日でしたが、とても内容の濃い巡検でした。(石田直人 記)
【参加者の感想10-2】
 今回飛騨帯東部の巡検では、詳細な年代値データをもとにした飛騨帯岩石の成因の説明は参考になりました。深成岩変成岩地域での年代値マッピングの重要性は、海外の先カンブリア代地域では示されていましたが、今回、飛騨帯での成果をみて、その必要性を実感しました。化学的または同位体的手法によるジルコンのU−Pb系年代値が地質構造の解釈また発達史の解釈に今後さらに貢献するであろうことが感じられました。巡検の最後に訪れた立山博物館の庭では、野外に椅子とテーブルとして展示利用されている飛騨変成岩の大きなスラブを見て、飛騨帯変成岩の形成メカニズムの一部が視覚的に理解できました。(小笠原正継 記)
【参加者の感想10-3】
 気持ちよく晴れた空と、立山連峰より流れ下る清浄な水の流れにつつまれながら、はるか数億年という時の流れに思いをはせることのできた、すばらしい一日でした。
 この巡検によって、土木地質という似て非なる世界に身を投じている間に、日本の基盤と言われた飛騨帯に、より説得力に富む新しい解釈が生まれていることを知ることができました。このことは、自分の不勉強の程度とともに、もう一つの時の流れを実感させてくれました。(柿原真二 記)
【参加者の感想10-4】
 新潟にいる関係で、片貝川には何度か行ったことがありましたが、CHIME年代を含 む最新のデータとともに飛騨の熱履歴について大変勉強になりました。特に立山博物館の研磨された岩石の美しさと、スリランカのチャーノッカイトの逆ともいえる成因論が面白かったと思います。(志村俊昭 記)
【参加者の感想10-5】
 快晴の天候のなか、剣岳や立山連邦を仰ぎ見ながら、少人数であったこともあり東又 谷の奥まで車で行けたため、昔訪れたルートの岩石や構造の再確認ができました。椚 座さんたちにより、従来不明瞭であった飛騨変成帯の花崗岩類や変成岩類の年代論が 最近ジルコンなどのU-Th-Pb法で急速に解明されつつあり、その概要を知ることがで きて、有益でした。今後の日韓の右横ずれ剪断帯の発達史を考える上での参考にした いと思います。(高木秀雄 記)
【参加者の感想10-6】
 9月24日快晴の中、立山連峰を望む片貝川の巡検に参加することができ、非常に有 意義でした。各露頭では、参加者の方々の積極的な議論や、説明からいろいろなことを教えていた だき、大変勉強になりました。また、飛騨帯のさまざまな年代法による解析から、プレートの運動に比べると、造山 運動のタイムスケールは非常に長いということを学びました。一番最後のstop「富山県立立山博物館」での、「和田川流域から発見された飛騨変成 岩の大型切断研磨試料の岩石組織の観察からその岩石の経験したイベントを解き明かす」という研究は、ひとつのドラマをつくるようで感動しました。(壺井基裕 記)
【参加者の感想10-7】
 椚座さんが富山大学に着任してから、明らかに飛騨は変わった。殊にここ数年、密かに膨大な年代データをためこんでいるとの風の便りを耳にしていたので、その実体を見せてもらおうと参加した。結果は、う〜ん、こういう状態なのかあ、でした。行っただけのことは十分ありました。
 巡検の車を運転しながら、嬉しそうに「いやあ、高木秀雄さんが参加してくれてよかったあ。おれ露頭の前で話すこと何もないからなあ」と言う椚座さんの変わらぬ人柄に感銘。この人には、案内者として自分をエラく見せようなんてケチな野心は微塵もない。あるのは、せっかく来てくれた人に面白い巡検にしたい、それだけ。「今日わりと時間がずれこまないで進んでんのは中島さんがサンプル採ってないからだな、ハハハ」とか言われて、私も「あ、そうかあ」。この日の天気そのままの、実にさわやかな巡検でした。(中島 隆 記)
【参加者の感想10-8】
 日帰りながら充実した内容だったと思います。軽いフットワークで充実した露頭巡りができて良かった。単斜輝石片麻岩のサンプリングができなかったのは、少し残念です。(水野耕平 記)
【参加者の感想10-9】
 芦峅寺立山博物館。立山を望む遥望館前の広場におかれた大型研磨切断岩石の美しく複雑な構造は、鮮やかな青空の下で一段と輝いていた。ここは南極探検にも参加した北大の先輩で立山の案内人だった佐伯富さんの故郷。片貝川の巡検からわざわざこの岩石を見るためにだけ、一度高速道路に出て、ここまでやってきた。
 大型の研磨岩石は単斜輝石片麻岩。彩りの鮮やかな縞状構造が美しい。しかし、ザクロ石が、角閃石が、輝石が分布する様は複雑だ。案内者はこの複雑な岩石の産状を見事に説明した。角閃岩と石灰岩の機械的混合で形成されたこと、CO2流体組成の変化によって反応が終了したことが語られる。岩石学はかくも見事に鉱物の産状を説明しうるものか。何人の先人がこの岩石の成因を語るために悪戦苦闘したことか。Keyは鉱物の産状をCO2を含む系の反応で語ることであった。岩石学の醍醐味を味あわせてくれるbeautifulな説明であった。我々がこの石に夢中になっているとき、鹿が我々の背後を通って藪の中に消えたらしい。観光客も不思議そうな顔をして通り過ぎて行った。(渡辺暉夫 記)

第11班糸魚川コース 糸魚川−青海地域の古生代高圧変成岩 もどる

案内者:辻森 樹・宮島 宏・竹之内 耕
参加者:荒川竜一・岩村 陽・宇留野勝敏・大高 暁・大友幸子・大林達生・柏原由芙子
・小林記之・櫻井 剛・佐藤興平・鹿野勘次・清水洋平・鈴木里子・高橋 浩・土谷信高・早澤敬一・坂野昇平・堀越 叡・松井智彰・三浦 亮・御子柴真澄・南出幸代・宮下 敦(23名)

【案内者のコメント11】
 巡検当日は時間の都合上Stop 1として予定していた博物館の館内見学を取りやめ,Stop 2から巡検を始めた(2日目,巡検解散後に一部の参加者は館内見学した).歩く箇所が多いコースのため当日の雨を最も心配していたが,幸い天気にも恵まれ無事に巡検を終了することができた.1日目に青海川のひすい輝石岩と青海川〜湯ノ谷の蓮華変成帯の結晶片岩類を見学し,2日目は小滝川沿いの地域のひすい輝石岩を見学した.初日は結晶片岩を中心とした見学を考えていたが,結晶片岩の見学地点付近の河原から何人かの参加者が美しい“ヒスイ”の転石をいくつも見つけだした.特に,大友さんが拾った白〜鮮やかな緑に透き通る“ヒスイ”はまさに宝石級であった.湯ノ谷では藍閃石片岩やエクロジャイトの分布地点までのアクセスが難しいため,林道付近の沢の転石を案内した.ここではエクロジャイト相に達していても,全岩組成のMg/(Mg+Fe)比の相違で変塩基性岩はオンファス輝石を含まないことが多く(その場合は,ざくろ石藍閃石片岩),現地では変成相としての「エクロジャイト相」と岩石名としての「エクロジャイト」を混同させないよう説明に気をつかった.宿舎では夕食の際に,大広間の畳の上にポスターを並べて議論の場を設けた(柏原さんにも学会で用いたポスターを持参していただいた).今回,参加者の皆さんには,見学地点でも宿舎でも活発な議論をしていただいた.案内者として心から感謝する.(辻森 樹 記)

【参加者の感想11-1】
 1955年以来46年ぶりに青海川本流の連続露頭を観察できることを期待していたが,ヒスイ峡の上流には2つの砂防堰堤ができ,連続露頭のある領域は約1キロしかなく残念であった.また本流の岩の多いところで2度転んでしまった.そろそろ足から来たのか!そのため青海変成岩の泥質片岩や塩基性片岩の(例えば三波川帯と比較しての)特徴をつかむのは容易ではなかった.案内書と露頭での説明で,カリ長石は泥質岩の主成分鉱物ではないこと(それは砂質片岩に産するのではというのが私の予想),頻度は高くないが藍閃石/クロス閃石は緑泥石帯(辻森のエクロジャイト・ユニット)に再確認されていることを知りほっとした.一昨年発見された湯之谷エクロジャイトは露頭までは行けなかったが,転石で採集した.また片岩の構造解析から,変形分帯を行い沈み込み期,蛇紋岩の(固体)貫入期をともなう上昇期と蛇紋岩メランジェの形成期を識別する細かな観察に感心した.
 一方堰堤の存在はヒスイの採集には好都合で,青海川橋立上流,小滝川中流などの保護地域外で小さいが本物のヒスイが多数採集され,中にはなかなかの逸物もあり喜びの声があちこちにあがっていた.ヒスイの鑑定はまずハンマーの欠け方で見当をつけるという私の方法は正しかったことを確認した.二日目駅への途中で特に休館日に参加者を迎えてくれたフォッサマグナ博物館でまがい物ヒスイを多く見せていただき,外国でヒスイを買うのには細心の注意が必要なことを頭にしまいこんだ.不便な地域での巡検としては短時間に多くの勉強をさせて下さった案内者と博物館の方々に深く感謝します.宿舎は食事が不必要に豪勢であった(案内の方々の寄付か)のと巡検の総括がなかったので観察の意味を確認する機会が少なかったのは,やや残念だった.
 また,見学旅行案内書の青海川のヒスイ研究史の一部に誤解を招くおそれがある部分があるので堀越と宮島と共に下記に補足説明したい.(坂野昇平 記)

【参加者の感想11-2】
 本コースでは,飛騨外縁帯の東縁に位置する糸魚川?青海地域での高圧変成岩の変成作用・変形構造,蛇紋岩メランジュの中のひすい輝石岩を見学した.主な見学地は,橋立ひすい峡・青海川上流の結晶片岩と変ハンレイ岩・青海町湯ノ谷のエクロジャイト,小滝ひすい峡,小滝川上流のひすい輝石岩である.各見学地点では,高圧変成岩分布地域の地質や構成岩類,変成作用や変形構造,ひすい輝石岩の産状やいろいろな色の“ひすい”の違いについての説明を受けるとともに,参加者の興味に応じて議論が行われていた.また,青海町の橋立でひすいの存在が発見される前に当地域に進級論文の調査に入られていたという坂野・堀越両先生の思い出話が各所に披露された.
 この巡検で私にとって最も印象深かったのは,初日の出来事だった.橋立ひすい峡で大きなひすい輝石岩塊を見学し,その上流の変成岩の変形構造を見学した後,バスに向かって広い川原を歩いて戻って来た時であった.折しも,他の参加者は,川原の端によけられていた岩塊の中に大きな白いひすい輝石岩を見つけて,若者達が一生懸命ハンマーをふるっていた.わたしはふと足下に半分ほど緑色の中礫があるのにを気づいた.そんなに簡単に緑色のひすいが見つかるはずはないと思ったのだが,さっそく坂野先生に見ていただいたところ「ひすいだよ」と.ほかにもこの日は何人かが川原で白いひすいを見つけたようである.また,今回の巡検では,全員がひすい採取禁止区域外でひすい輝石岩の採取ができた.林道を6km(往復)歩く行程もあったが,みんなひすいをめざして歩くせいか,気持ちよく山の秋景色を見ながら過ごすことができた.案内者の辻森・宮島・竹之内各氏に深く感謝いたします.
 参加者は23人.専門が高圧変成岩または変成岩に関連した方は約1/3.もっとも熱心に採取された岩石はひすい輝石岩(その次がエクロジャイトか?)・・・.参加者があまりに熱心にひすいを採取している姿に,案内者の宮島氏は「巡検タイトルは,“ひすい取り(ほうだい)巡検”にしたほうがよかったかな?」(大友幸子 記)



【11班補足説明】 「青海のヒスイの発見について」 もどる


堀越 叡・坂野昇平・宮島 宏


 見学旅行案内書の170ページ左コラム上から6〜10行に,「当時,青海川流域は東京大学理学部地質学教室の学生により進級論文の調査地域となっていたが,橋立の青海川河床にあった大量の白色ヒスイの大塊(最も大きいものは100tを超える)には気がつくことがなかった.」という宮島による記述がある.この部分が坂野が前述した誤解を招くおそれがあるとした記述である.これは1976年に発行された糸魚川市史第1巻211ページ(執筆者は青木重孝)を基にしたものである.東京大学の学生についての記述は間違いでないが,第三者に,東京大学の学生は青海川の調査をしたにも関わらずヒスイを発見できなかったと拡大解釈されるおそれがある.著者のうち堀越と坂野は東京大学の進級論文で青海川を調査していた当事者であり,その当時の記録と記憶を再調査した結果,1954年に青海川橋立よりも上流にある金山谷でヒスイらしき岩石を発見し,翌年3月までに,東京大学での偏光顕微鏡観察とX線粉末回折線の検査からヒスイ輝石と同定していたことがわかった.その後, 1955年8月,青海町教育委員会から依頼されて青海川橋立のヒスイによく似た転石を調査した茅原一也はそれらがヒスイであること確認し,1958年に論文として報告した.東京大学の学生による青海川からのヒスイの発見は,教室内では話題になったが,学会や論文などには一切発表されていない.青海川からのヒスイの発見に関して茅原に先取権があることは改めて言うまでもない.
 青海川のヒスイの発見史を堀越の日記(" "内)と茅原(1958)の論文の記述によって列記すると以下のようになる.
1954年8月6日:"ヒスイの今までの最良のものを採集し".橋立班(堀越 叡・坂野昇平・奥田亮二)は金山谷で白色の大塊の中に幅10センチメートルほどの緑色のバンドが走る岩塊を発見し,ヒスイであることを信じた.この試料は今でも堀越の手許にある.しかし"今までの最良のもの"とあるので,これ以前にも発見していたらしいが記憶にない.
1954年9月6日:"地学教室で進論の話やヒスイの話を中心に花が咲く"とある.これは教養学部地学教室での話である.
1954年10月15日:"飯山さんは「まだヒスイの鑑定をしていないので,教育委員会の青木(重孝)さんには会わない」と言っていたが,青海からの汽車でバッタリと会ってしまう".この日は飯山(敏道)と坂野が帰京するので,青海から市振まで汽車に乗った.
1955年1月28日:"都城さんと会って,(中略)ヒスイの試料を謹呈して(後略)".この日,ヒスイの試料が都城秋穂へ渡った.
1955年1月31日:"カリフォルニアでただ一ヶ所分かっているヒスイの産状が,グローコヘンと関係がある.橋立のも確かに関係があり,その関係というのは必然なのではないか".都城・飯山より堀越へ,同じ話があった.
1955年3月5日:"都城さんの所へ行ってヒスイが本物であった話を聞き,(後略)".堀越の記憶では,都城は「薄片を作ってもらい,ノレルコもとりましたから間違いありません.薄片を見ますか」と言われた.この時,初めてヒスイの薄片を見て,光学的特性などの説明を受けた.学問的には,これで青海川にもヒスイが出ることが確認された.東大ではそのことが周知のこととなり,藍閃片岩と一緒に出ることが話題になった(前述).
1955年8月:青海町教育委員会(青木重孝)の依頼により,青海町橋立附近の地質調査を行い,jadeite rockの新しい存在を確認した(茅原(1958)の原文のまま).
 以上は事件と同時代の史料に基づくものである.その他,堀越・坂野の記憶では,当時の青海町教育委員長の青木重孝へ金山谷でのヒスイ発見を伝えている.前述したようにヒスイ発見以後,青木・堀越・坂野が一緒になったのは1954年10月15日だけであるので,この日の汽車の中で,おそらくは飯山から青海川金山谷でのヒスイ発見が青木へ伝えられたのであろう.しかしながら,青木による『糸魚川市史第1巻』にはそのような記述はどこにもない.同市史の211ページに「青海町教育委員会/職員の一行は,八月十三日に(中略),綿密な調査を行った.(中略)さっそく県教育委員会から(中略),茅原一也の派遣となった」とある.この1955年の調査は,茅原(1958)の記述と一致する.
 われわれは以上の事柄から,青海川橋立のヒスイ発見の経過は次の通りであったと推察する.
 『東大の学生の橋立斑がヒスイを発見した金山谷は急峻で,土地の人も「入るのは危険」と忠告した谷である.1954年10月にヒスイ発見の報を青木が聞いても,青海町教育委員会としては金山谷をすぐに調査することはできなかった.翌年,金山谷よりも下流の青海川本流を青木らの青海町教育委員会が調査した際に橋立付近でヒスイによく似た転石が多く集積しているのが発見された.その転石は茅原による調査でヒスイであることが確認され,1958年に論文として報告された.』
 なお,糸魚川市史第1巻211ページには,青海川での東京大学の学生の事故の記述がある.事故を起こしたのは堀越であるが,市史の内容は堀越の日記の記述,本人の記憶とは著しく異なるものであり,糸魚川市史のヒスイ発見史の部分は実際の史実にかなり脚色を加えて記述されていると言わざるを得ない.


見学旅行参加者へのご注意とお願い 

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                     平成13(2001)年9月6日

          日本地質学会行事委員会 委員長 伊藤谷生

          金沢大会準備委員会 見学旅行係 石渡 明

  地質学会の見学旅行は,フィールドサイエンスとしての地質学にとって不可欠な,新発見や新しい考え方の実地検証,古くから有名な露頭の見学と再検討,見解の異なる研究者間での実際の露頭を前にしての議論,学生・若手研究者の実地教育,研究材料や教材の撮影・採集,自分の専門あるいは専門外の分野の知識・見聞を広める,そして学会員・参加者相互の親睦を深めるなど,様々な目的をもって行われるものです.どの見学旅行も,1年以上の時間をかけて,各班の案内者が周到に準備して下さったものです.行事委員会および今大会準備委員会として,案内者の方々のご尽力に対して尊敬と感謝の意を表するとともに,参加者の皆さんが,安全・快適で楽しい旅行の中で,大きな成果を得られるよう,期待いたします.

 学会として各見学旅行の準備に必要最低限の予算は設けてありますが,その予算や参加者から集めた費用は案内者やその補助者全員の旅費,宿泊費,準備にかかった費用を賄うのに十分ではありません.基本的に,案内者は多くの会員に自分の研究地を見てもらい,議論してもらうことに意義と喜びを認め,自己負担でボランティアとして自分の研究地を案内するもので,学会や参加者に雇用あるいは強制されて案内役に従事するものではありません.従って,見学旅行中に事故や病気,様々なトラブルをできるだけ発生させないよう,参加者一人一人が十分に注意し,事前の準備や体調のコントロールをしていただくよう,お願いいたします.また,見学旅行中は団体行動になりますので,案内者や運転者の指示に従って,迅速に行動していただくよう,お願いいたします.ハンマーを使う場合は防護メガネ(ゴーグル)と軍手の着用を励行し,周囲の人に危害が及ばないよう,ご注意下さい.斜面を移動・観察する場合は,落石を生じないよう,また落石が発生した場合はすぐに大声で(または呼子で)下の人に知らせるよう,お願いします.そして,もし不幸にしてけが人・急病人などが発生した場合は,救助・看護・連絡・搬送などに積極的にご協力いただきますよう,お願いいたします.

 見学旅行で案内する地点は,各案内者が事前に下見して,必要な箇所は地権者・管理者の立ち入り許可を取得していますが,標本の採集禁止,ハンマーなどによる露頭の原状変更禁止などの制限がある場合もありますので,案内者の指示に従って下さい.露頭への進入経路や現場の状況は事前の下見によって案内者が把握していますが,見学中に落雷,豪雨,高波,突風,露頭の崩落,蜂の襲撃などの自然災害や交通事故など,不慮の災害や事故が起こる可能性を完全に排除することはできません.通常の野外調査で使用する調査用具(ハンマー,クリノメーター,ルーペ,筆記具,フィールドノートなど)を持参されることはもちろんですが,ご自身の安全を確保するために必要な装備(ヘルメット・登山靴・防護メガネ(ゴーグル)・軍手・防寒具・雨具・懐中電灯・非常食・ラジオ・医薬品・呼子・反射板など)も,ご自分の責任でご持参下さい.ヘルメットが不必要と思われる場所でも,野外では必ず帽子を着用して下さい.半そで,半ズボン,スカート,サンダルなど,手足を露出する服装での参加は危険ですので,ご遠慮下さい.なお,地形図は学会会場で販売しますので,是非お買い求め下さい.

 見学旅行参加者は一括して旅行保険に加入しており,その費用は振込金に含まれています.しかし,この保険による補償額は必ずしも十分ではないので,もし必要と思われる方は更に個人的に別の保険に加入して下さい.


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2002年01月09日作成,2002年01月09日更新 (金沢大学理学部 石渡 明)