人社サロン|三太郎の小径

TOHOKU UNIVERSITY

日々の研究というのは、ピンポイントで課題となっているテーマを追求したり、論文を書くためにほんとうに狭い範囲のことを調べたりしがちなんですが、それも本質的に何を目指す研究なのかという基盤があってのことです。もちろん教育の場面では私はできるだけ偏らずに、最近の法改正や判例なども含めて、より広い角度からの教え方に留意しているつもりです。

大学での研究と教育が基本ですが、ほかに行政の各種委員会への参加依頼などもお声がけいただいています。一方家庭では子どもを育てているということもあり、女性研究者としての働き方はどんなことに気をつけていますか、とか時間管理の仕方の秘訣を教えてください、とかいろいろな質問を受けたりしますが、そんなに意識して頑張るということではなく、生活は単純に「メリハリと集中力」をキーワードにしています。生活のモードを切り替えることはなかなか難しいのですが、たとえば家での時間は私にとっては貴重なものなので、家事をすることも研究とは頭の全然違うところを使っている気がして、気分転換になっていますね。

私益にとらわれず公益の観点から
議論できる市民として

――最後に、これまでの研究の中で先生が感じていること、たとえば学生や社会人の方にも考えてほしいと思っていることがあれば教えてください。

:まとめとして社会保障法学の意義ということに少しだけ触れたいと思います。
1つには、解釈論も重要だということです。市民が社会保障法上で持つ権利と負担する義務を分析し、社会保障法をめぐって生じる法律問題について、法をどのように解釈して一定の法的解決を提示するのかという役割です。社会の状況を踏まえ、他の法領域の知見も取り入れつつ、整合的な解釈を行う必要があります。基礎のところをおさえておけば、新しい問題にも応用が利くことになります。
2つめは政策論としての観点、役割もあるということです。社会保障とは、その時々の社会・経済情勢に強く影響を受けることが多いです。国の財政にも影響し、政治判断にも影響します。社会保障法学としては、政策論展開に必要な基礎的な法理論や制度論を構築し、提供するという政策科学的な側面もあるということになります。

社会保障とは多くの場合、憲法などによって制度が一義的に決まるものではありません。そのため、いかなる制度が望ましいかは討議に委ねられることになります。最終的には国会での審議を経て法律が定められます。
そうした議論の際に、たとえば給付金などのことになると自分の生活に直結したことなので個々人が自分の利益、私益のみに基づいて議論しがちになりますが、それでは単なる利益の衝突となってしまいます。そうならないように、社会保障はどうあるべきか、ということを私益から切り離して議論できる市民としての立場が必要です。そうした市民の議論に資する、法理念に照らして、あるべき社会保障法制を検討するための視点を提供するのが社会保障法学の使命ではないかと私は考えています。
社会保障教育のような観点でいうと、表面的なことではなく社会保障の基本理念のようなことに関心を持ってもらえたらいいと思いますし、市民が気軽に学んだり、議論の場に参加できるような取り組みがあるとすれば、もっと活性化してもいいのかなとも思いますし、研究者ももっと増えてほしいと思っています。

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