人社サロン|三太郎の小径

TOHOKU UNIVERSITY

:あるところから移動してきて、そこに住みついたという事実が出発点になるんですね。たとえば⽇本の村の歴史だと、村の領域を過去に遡って歴史を語ると思うんですが、どこかから移ってきたっていうことは開拓⺠でもないとそう強くは意識しないと思うんです。中国の場合は移動してきたということがアイデンティティの⾮常に重要な部分を占めているけれども、⽇本では意識されない。そこが印象深いと思っていました。

瀬川:中国の東南部で⾒られる、客家(はっか)と本地(ほんち)という2つのグループには興味深い対照的な特徴があります。客家というのは外からやってきたということを⾃分たちのアイデンティティの根幹に持っているグループで、周りの⼈からもそう⾒られています。客家の⼈たちはどこからやってきたかという外来性に根拠を持っている⼈たちなので、どこから来たか、その前はどこにいたか、どこに移ったのかということが重要なんです。
⼀⽅、本地の⼈は、相対的に先住性の⽅に、昔から住んでいたという⽅にアイデンティティの根幹を置いています。本地の族譜においても、もちろん移住のことが書かれているものがないわけではないのですが、相対的にはそれほどこだわっていない。2つのグループでそのような対⽐が見られるんです。

:宗族とか族をつくるという動きが中国の東南部に特徴的だとされていますが、それはどうしてなのかという素朴な疑問があります。

瀬川:観念としての宗族は全中国的にあると思うんですが、最初の⽅で⾔ったようにモニュメントなど祖先を記録するあるいは記憶するためのきっかけになるようなものはやはり中国でも東南部に⾮常に多く残っているんですね。ちょっと⼭に⾏けば三代前の祖先のお墓とかがあったり、同じ村に暮らしている⼈たちが共通祖先をまつる建物などが村の中にごく普通にあったりします。いったん⽂⾰で消え失せたとしても復活しようと思う基盤になるわけです。⼀⽅、祖先のお墓がどこにあるのかわからないとか祖先の名前さえわからない、そういうところでは宗族の観念があっても、実際の宗族組織をつくるきっかけや拠り所がないんです。

Photo
瀬川教授の著作

瀬川教授の新刊
表紙
十月の梧葉: 研究者としての半生を振り返る

「少年老い易く 学成り難し・・・」この著名な漢詩は「階前の梧葉すでに秋声」で結ばれる。中国人類学に着実な足跡を残してきた著者にも、少年時代はあり、初渡航やフィールドワークに緊張する青年期もあった。定年退職に際し、研究・調査の逸話を交え語る、東北人としての自伝的エッセイ。(帯文より)
◎著 者:瀬川昌久
◎出版社:風響社
◎判 型:四六版192p
◎定 価:1760円(1600円+税)

文化の違いによる
自分と他者の区別の意識
それが、エスニシティ

:次にもう一つの研究であるエスニシティについてです。

瀬川:エスニシティ(ethnicity)、という⾔葉⾃体少し解説しないといけないと思うのですが、この英語の適正な⽇本語訳、定訳がないんです。なので「⺠族性」なんて間違って訳されることもあるのですが、端的に⾔ってしまえば「⽂化の違いによって様々な⾃他の境界ができたり、それが曖昧になってひとつになっていったり、という⽂化の違いによって⽣まれるいろいろな社会現象」を総称したものなんです。単なる⽇本⼈の⺠族性とか、中国⼈の⺠族性とか、そういう問題ではないんですね。
したがって⼀つの地域の、⼀つの⺠族と思われているものの中にも、さらにサブエスニシティといって細かなエスニックグループが分かれていたり、あるいは微妙な⾃分と他者の区別の意識が⽣じていたりすることがあるのです。私の研究してるのは主に中国南部の漢族の中の細かな違いなんですね。先ほどの話に出てきた客家と本地というのはまさにその代表例ですけども、それだけではなく同じ客家の中にさらにいろんなグループを区別しようと思えばできたり、広東⼈(=本地)の中にもそういう微妙な、外側からなかなかわからない、現地に⾏ってみないとわからない区別が存在したりして、そういうものを研究してきたわけです。

:われわれ歴史やっていると、エスニシティというのはちょっととらえどころのない気がしていて、ナショナリティの⽅がむしろ課題化しやすいという⾯があると思うんですね。本来中国の少数⺠族だとナショナリティではないかと思いますが、エスニシティとの違いはどういうところにあるのでしょう。

瀬川:中国でも公的には少数⺠族はすべてナショナリティと定義していますけど、それはあくまで国家の政治的な枠組みの中で認定された単位なのですが、エスニックグループとかエスニシティの問題を論じる時にはそういう国家や公的な機関が認定するしないに関わらず、まさに⼈々の間の距離感の問題であって、あれは我々と違うんだという社会的な区別やカテゴリー分けがあれば、それは⼀つの別なエスニックグループとして存在していることになります。
ただそれは固定的なものではなく⾮常に流動的です。ひと世代前までそういう区別があったけど通婚が進んで区別がなくなっちゃったというように、⼀世代で変化することもあります。だから⾮常に動的なもので、しかも公的な ID カードに書かれるような属性ではないので微妙なもの、曖昧なものであることが多いのです。

エスニシティの研究に関して⾔うと、特に中国の少数⺠族の研究はそうなんですけども、⼀⽅においては国家が認定する⾮常にはっきりした明確なカテゴリー分けがあって、ショオ族ならショオ族、ヤオ族ならヤオ族とはこういうものだよと国家が宣伝している⾯もある。切⼿になってたりお札になってたりする。ところが実際の地域の中での彼らの姿はそんなにはっきりしたものではない。その曖昧性あるいはナショナリティの架構性、フィクショナルな部分をあばいていくというのがひとつの流れとしてあって、そういう流れに乗った研究を私も⾏ってきました。
客家について⾔うと、これは国家の認定云々とは関係なく客家⾃⾝が近代初期から、(ここで近代というのは⼈類学者が⾔う近代だから20世紀の頭ぐらいからと考えてください)客家の知識⼈が⾃分たちは漢⺠族の中の中⼼的な、最も純粋な漢⺠族なんだということを強烈に主張したので、学術レベルでもそのような主張を実証しようとする研究が⽣まれてきましたが、それに対するアンチテーゼみたいな形で私は研究を進めてきたので、どうしても学術的に打ち⽴てられた虚像を暴くというシナリオのものが多いんですね。

:逆に宗族の方はどうですか。そちらの方は確かさを感じますが。

瀬川:そうですね、ただその確かさというのは、かっこつきの確かさであって、本当に歴史的に事実なのかというところについては私は何も述べないことにしています。それはブラックボックスなんですね。わからない。岡先⽣が専⾨にされてるような歴史学だと、確かだと認めていい資料って決まってると思うんですけど、族譜を中⼼とした研究は族譜を書いた⼈がどれだけ信⽤できることを書いてるかなんてわかりませんから、その史料批判⾃体もちゃんとできる代物ではないので、これはいい加減な族譜なのかちゃんとした族譜なのか勘でわかる程度なんです。そういうものに基づいて再構成していく限りは、確かにこれこれの祖先から分かれた⼦孫だという確信めいたものは、その当事者が持ってる確信であって、客観的な保証は何もないわけです。ですからむしろ私はその真偽の部分では、宗族の成員自身が信じているほどには確かな系譜ではないだろうと思っています。

:彼らの意識としては確かなものということですね。昨今の⺠族主義的な⾵潮との関連についてはどのように考えていますか。

瀬川:昨今の中華⺠族という⾔い⽅に代表されるような⺠族主義的な主張と、宗族の復興ということは通底している部分があると思います。やはり、⾃分の祖先を遡っていくと中国の歴史の中で⾃分は正当な中華民族の末裔であるという意識を持つ。それがナショナリズムと重なっていくんだと思います。